2014_05
11
(Sun)01:18

訳してみよう! 観音百籤 第三十三 吉

さて、前回のつづき。


観音百籤 第三十三 吉

枯木春逢艶(こぼくしゅんほうえん)
芳菲再発林(ほうひさいはつりん)
雲間方見月(うんかんほうけんげつ)
前遇貴人欽(ぜんぐうきにんごん)

枯れ木も春に逢えば艶(つや)やかたり
芳(かんば)しき菲(はなのかおり)も、再び林に発する
雲間(くもま)より方(まさ)に月を見る
この前(さき)、貴人(きにん)に欽(つつし)んで遇(あ)うだろう


この漢詩を、一行づつていねいに見ていきまっしょい!


「艶(つや)」
この字、今では“色っぽい”イメージやけど、
ここでは「あでやか、つやつやして美しい」といった意味で使われています。

「枯れ木も春に逢えば艶(つや)やかたり」
枯れ木みたいな枝に、ヴィヴィッドな花が咲き出して、
「お、枯れて死んでたかと思ったら、なんやびっくりするくらいきれいな色の花が咲き出しよったで!」
みたいな感じかな。


「菲(ひ)」
一文字だけだと、実は“かぶなどの仲間の野菜”とかいう???な意味。
これが「芳菲(ほうひ)」となると、
“花がかぐわしく匂う”という意味になるフシギ。

「芳(かんば)しき菲(はなのかおり)も、再び林に発する」
「林」って、「木が集まったやつ」なの。
この場合、「枯れたと思ってた木の集まり」ね。
つまり、
“あれやこれやと苦労が重なって、たいへんだった状況や思い出”と理解して読み直せば、
「なんかいろいろたいへんやったけど、苦労も実って、具合よく回り出したで!ってなとこ、かも。


「雲間方見月」の「方」は、「まさに…せんとす」。
「雲間から月が見えるのは…just now! 今でショ!」
ハイ。
「雲」も、「暗雲たちこめる」といった比喩もありますし、
“もろもろの困難”を表わすのでしょうなァ。
ちなみに。
観音百籤でよく出てくる「お月さま」は、
そのまま「ツキ・運」を象徴していることが多いです。

「雲間(くもま)より方(まさ)に月を見んとす」って、
「ようやくややこしい状況からぬけだして、ツキがまわって来た!今でショ!」てなとこ。


「欽」
この字、某大御所の芸能人のお名前にもある字だけど、
そもそも皇帝(天子)にまつわる尊い文字なんです。
「欽定(きんてい)」というと、天子がお定めになられたもののこと。
たくさんある仏教の経典を時の皇帝がお定めになられた「決定版」を、
「欽定大蔵経(きんていだいぞうきょう)」と言うでありんす。
「欽」自体の意味は、
“つつしむ、うやまう”。

「貴人」は、“身分の高い人”。
昔は身分制が厳然としてあったから、
リアルに「貴人」といった存在があったやろうけど
(今でもアッパークラスとか影の支配者とかあるっぽいけど)、
いちおう万人平等の現代では、
単純に言うと“目上の人”くらいに思えばええんちゃうんかなぁ。
さらに精神性を深めるならば、
その「貴人」とはすなわち「神仏」になるんではなかろうか、と。
“人を遥かに上回る、目上の存在”として。



ほな、これらをふまえてさらさらさらっと現代語に訳してみるでー。



冬木立も春が来れば息を吹き返し、芽吹きやがて花を咲かせる
花々の好い香りがまた林中に溢れ出す
苦しみの雲も途切れて月が出てきた
この先、神仏の恵みがいただけるだろう


どうでしたか?
そんなにムツカシクなかったでしょ?!


おみくじは、今の運気のある部分を気づかせてくれるもの。
すべてが当てはまるわけでもないし、一部でも参考になれば、それでええ。ってものです。
あまり神経質になり過ぎたり、
おみくじそのものに行動の決断などをゆだねてしまわないように。
あくまで自分の運勢は、自分で切り開くおつもり
でお読みくださるよう、お願い申しあげます。
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2014_05
09
(Fri)04:52

おみくじを引かずに引く方法?! 

おみくじわぁー、
ボーのハコをガチャガチャふってぇー、
でてきたボーのスージをみてひくのがぁー、
いちばんいいんだけどさぁー。

はっ!地の喋り方が出てもうた!(←んなわけない)

ハイ、ボーがなくってもええやり方、ご紹介しときまひょ。
その名も、「孔明神数」。(諸葛孔明の編み出した占い?の簡易版らしいですが)

なんでもええから、ふたーつ、漢字を思い出してみて。

心に、浮かんだ?

だいじょうぶ?

ほな、それみーんな忘れてぇ。(←意味ねーだろッ!)

すんまへん、じょーだん、じょーだん。

二つの漢字の、「画数」を調べてみてくださいな。


たとえば、なんにしまひょ。


うーん。

「葱ねぎ」。アーンド…「韮にら」。(←深い意味はありません。悪しからず)

ええっと。

「葱」は、イチ、ニ、サン…と。13画やね。

それから。

「韮」は、と。あ、こっちも13画か。
おんなじやった。
まあええわ。


まず、最初に思いついた漢字が十の位。二番目の漢字が一の位。
で、それぞれの画数の一の位だけを使うんですって。

そうすると、今回は「33」。
というわけで、観音百籤の「33番」を見るでやんす。
すると、アーラフシギ、わたしの運気が書かれてるではあーりませんか!

と、まあ、
そもそも
「ボーの入ったハコ」はなくっても、
観音百籤のすべて書かれた「みくじ本」がなければ通用しないやり方

なのでした!
ゴメンネゴメンネー


まあ、お詫びに33番のおみくじだけ、解説しときまひょか。


観音百籤 第三十三 吉

枯木春逢艶(こぼくしゅんほうえん)
芳菲再発林(ほうひさいはつりん)
雲間方見月(うんかんほうけんげつ)
前遇貴人欽(ぜんぐうきにんごん)

枯れ木も春に逢えば艶(つや)やかたり
芳(かんば)しき菲(はなのかおり)も、再び林に発する
雲間(くもま)より方(まさ)に月を見る
この前(さき)、貴人(きにん)に欽(つつし)んで遇(あ)うだろう


そんなにムツカシクないよね。
これから、よくなりますぅーって感じ。
ちょと、見たことない漢字がはいっちょる、くらいで。

くわしい解説は、ちょっと長くなったので次回に。
2014_01
17
(Fri)05:30

観音百みくじ、第四十九番の、いまだかつてないくわしい解説~!! 

やあやあ、おみくじ専門家のブログ主でっす!(←アホまるだし)
江戸時代にお寺や神社に広まった定番おみくじ「観音百籤」を、
前いた鎌倉長谷寺で、ぜーんぶ改訂しましたからね。

(いままで書いた過去記事は、カテゴリの「おみくじ関連」を参照ください。

で。
今回、ある方から過去に書いたおみくじ記事へ質問をいただきました。
こちらの記事の、この部分。


(以下、引用)

第四十九、吉。
正好中秋月・蟾蜍皎潔間・暗雲如何処・故々両相攀。


まさに好し、中秋の月。 

蟾蜍(=ここではお月様の別名)が白く清らかな間は
(つまり、雲間から秋の満月が出ている様子)
黒い雲もどこにあるというのか。
古なじみ同士、二人してよじ登る。

(中略)

冴えわたる月。そう、まるで秋の名月のような。
今までの問題がウソのように去って、すっかり心も晴れ渡る。
それは、昔からの大切な友に出会ったから。
今だけは、いやな事は忘れて心から楽しもうではないか。


でも実は、ちょっと気になることもあるんだよね。
これ、男女関係でも読めちゃうんだよね。
そうなると・・・
このおみくじを引いた人は、もしかしたら、日常を忘れちゃうような恋愛をしているのかも!?

(引用終わり)


さて。
まずはじめにひっかかるのは、
「蟾蜍(せんじょ)」でしょうか。
読めないよね~、書けないよね~、こんな文字。
意味は「ひきがえる」。「蟾蜍」そのままで、「ひきがえる」と読んでもいい。
古代中国で、月に住むのはウサギではなく、カエルだったらしいです。
ということは・・・
「月にかわって、お仕置きゲコ!」(←アホまるだし)

オホン。エヘン。

えー、なんでカエルかって言うと、カエルは満月のころにすんごい卵を産むらしく、
多産の象徴。“月の精”って考えられたらしい。
ウサギも、同様に多産。
両方、四つ足でぴょこぴょこ跳ねるです。(後代、月にいるのは“三つ足のカエル”という話も出てきますが。早口言葉の「みぴょこぴょこ」って、もしかしたら“三つ足”ってことかも!?)
カエルぴょこぴょこみぴょこぴょこ、
ウサギもぴょこぴょこ、むぴょこぴょこ。

一説には、「ウサギとカエルの追いかけっこで月が満ち欠けする」とか。
ウサギぴょこぴょこで新月から満月へ、
カエルぴょこぴょこで満月から新月へ。

こちらのブログ様がいろいろと詳しいです。
 また、こちらのブログ様はウサギについて書いておられます。 )
 

つづく「皎潔(こうけつ)」。
「皎(コウ・キョウ)」は、“白く光る きよい いさぎよい”。
「皎潔」で、“白くてけがれない”。もっぱら、月の光をたたえる言葉らしいです。
まず気になるのは、その次の「間」

蟾蜍皎潔間(せんじょ、こうけつのあいだ)

お月さまがまっ白で清らかな“間は”

わざわざ、期間を限定してるでありんす。

中秋の名月は、すばらしいッスよ。ほんとうに。
でも、考えてみてくださいよ。

月は満ち欠けがつきもの。
移ろいゆくものの代表。
さらには、別名「太陰」。(これは、「太陽」の対義語。いわゆる物質としての恒星「太陽」というよりは、万物の陽の極み・源としての「太陽」。その対極として、万物の陰の極み・源として考えられたのが、「太陰」すなわち、「お月さま」。)
“大いなる女性性の象徴”でもありんす。
女性は美しい。
女性は生命のみなもと。
しかし、女性は移り気で(もちろん、男性も移り気でしょうが)
刻一刻と、その姿を変えてしまう。
(ルナティックは狂気という意味ですしね。)

もう一度、書きましょう。


蟾蜍皎潔間

お月さまがまっ白で清らかな“間は”



どうも、美女と巡り合っての、心のときめきを歌っている、ような気がするでありんす。

そうなると、一句目も


正好中秋月

まさに好し、中秋の月



ほんま、ええなあ。まん丸のお月さんみたいなべっぴんさん。



みたいにも、読めるような。


あのー、別にブログ主がふだんそんなことばっかり考えているわけやおまへんで。
どうも、そう解釈できる、というか、そういうニュアンスを含ませている匂いを感じる、というか。

「中秋の月」って、
このおみくじは、お正月じゃなくて、秋にひくべき?
そうじゃないよね。お月さまはもちろんいつでもきれいなんやけど、
名月中の名月、いっちばんきれいなお月さまといえば、
そりゃあ、アンタ、いうまでもない。
「中秋の名月」やよねえ。

そうです。おみくじのなかで珍しく、わざわざ季節を限定している。その背後には、独特のメタファーがある、はず。


第三句、
暗雲如何処(あんうん、いずくのところぞ)

黒い雲もどこにあるというのか。


わざわざ、「え?暗い雲?そんなん、どこにあんの??」
と、、うそぶいていらっしゃる。
いや、あったんですよ。暗い雲が。不安な気持ち、だけでなく、客観的にもマズイ状況、が。
それが、ほんの束の間だけ、どこかに行った。とも、受け取れる。

二句目と三句目をつなげて読むと、そう思えませんか?


蟾蜍皎潔間 暗雲如何処
月が白く清らかな間は
暗い雲など、どこにあるというのか。


月の美しさに夢中になって、イヤなことぜーんぶ、忘れちまっただよ。なう。

からの~、四句目。


故々両相攀(ここふたつながらあいはんず)


これ、すっごくわかんなかったんよ。
もう、誰かに聞きたいくらい、意味わからんかった。

「故」って、ふつう読むなら“ゆえに”でしょ!?
「ダカラ」ってこと。
でも、それが繰り返してある。
「故々」って、なによ!?
(「故故し(ゆえゆえ・し) という古語があるけど、
意味は“何かわけがありそうである。普通でない。趣がありすぐれている”で、なんか違う。それに、あくまでおみくじの方は漢詩だしね。日本の古語じゃあない。 )
で、漢和辞典、穴のあくほど何度も見て、
いや、五、六冊、漢和辞典に穴をあけちゃって、ダメにしちゃったなァ。(と、ムダにうそぶく。)
ようやく、みつけたッスよ!
「ふるなじみ」という意味を!つまり、名詞としての意味を。名詞なら、くりかえしても問題ないもんね。
これで、「故々」“ふるなじみ同士”、「両」“ふたり”、「相」“ともに”と読める、読める。

この漢詩の、一番の問題は…
最後の、「攀(ハン)」という字!!
辞書を引くと、“よじのぼる”。なんだ、そりゃア!!??

それでまあ、さる先生の解釈にしたがって、
“月でウサギとカエルが、なかよく桂の木に、よじのぼって遊んでいる”
という線でご紹介してみたのが、以前にアップした記事でやんす。
月の伝説、知ってるだろ?前提のヤツ。

もちろん、そういうメルヒェン的な解釈、というか理解でもええんやろけど…。


気になるのは、やっぱり「攀」の一字!
意味を書き連ねてみましょうか。
“1 よじる よじのぼる  2 すがる つかまる とりつく  たよる したう 3ひく(援)”

なんか、ね。すんごい絡み合って、抱き合ってるような気がするんです。
このあまり普段使わない「攀」ってことばには、
個人的には『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の、この歌のセンスを思い出します。

美女(びんじょう)打ち見れば 一本葛(いっぽんかずら)へ成(な)りなばやとぞ思う 本(もと)より末(すえ)まで 縒(よ)らればや 切るとも
(べっぴんさんをパッと見てしもうたら、一本の蔓(からみあったつる植物)になりたいなあ、なーんて思ってまうわ。頭のてっぺんから足の先まで、ぐるぐるぐるーって巻きついて離れんで、引きちぎれるくらい(抱きしめたくなるわ))    
  

伝統的な子孫繁栄のモチーフ
「藤に松」
(「松」を男性、「藤」を女性にたとえて、松に藤がからみつく=男と女が抱き合う→子だくさん、子孫繁栄)
というのも、なんとなく思い出されます。



この詩のなかには、一言も“桂の木”なんてでてきません。
「蟾蜍」は出てくるけど、それは“カエル”という意味ではなく、単なる「月」の異名。
くりかえし「月」という言葉を使うのを避けているだけでなく、語調も整えているんでしょうね。
“せんじょ、こうけつのあいだ”って、声に出して読むだけでかっこええもんね。
で、とうぜん“ウサギ”も出てきまへん。
出てくるのは、「故々」だけ。だから、“よじのぼる”のも、「故々」だけでショ!?じゃあ、なにに??
もう、「両相」つまり、“ふたりで、おたがいに”しか考えられないんちゃいます?フツーに読んで。


と、いうわけで。
この漢詩をありのままに読むと、こういう真意が隠されているのではないか、と思うんでありんす。

おお、まるで中秋の名月のように美しいお方よ!
あなたの清らかな輝きに照らされて、
私は一切のわずらわしい事を忘れてしまった。
昔からの親しい者同士(のように)、お互いをかき抱きあおうぞ!


別に、本当に懐かしい幼馴染同士の再会でもいいんですけどね。
なんか、現実世界をうっかり忘れてしまったような、熱い恋の火花が散っているような気がするんでありんす。(不倫も含めて。)

あ、別にブログ主がそういう願望がある、とか、そんなことばかり考えている、とかじゃなくって。
おみくじ百あるなかには、そういう恋愛の激しい火花を読むものがひとつぐらいあっても不自然じゃないのかな、って。


もちろん、このおみくじを引いたからって、色恋沙汰に押し込んで理解する必要はありませんので、
“迷いがなくなった、道が開けた”と解釈したり、
“誰かと久々に会う”程度に理解したりしても、ぜんぜんかまわないと思います。

おみくじは、ある意味、運気の上がり下がりを教えてくれるひとつのバロメーターに過ぎませんので、
一から十まであてはめる必要もなく、
場合によってはトンチンカンのお門違いをひいてしまうこともありますんで、
そのへんはテキトーに割り引いて、
もしもなにか思い当たる節があるんなら、ご参考になさってください、ってなことで。
2012_01
08
(Sun)06:42

初詣におみくじは、正しい!

さて、今さら「初詣」の記事も、なんだか手遅れな感じですが。

まず、初詣の原形はというと、

“国家を安泰ならしめる修法”である「修正会・しゅしょうえ」
です。
これは一週間とか、ぶっ通しでおこなわれて、
平安の貴族たちもうつらうつらしながら夜中だって途切れることなく続くお経の声に聞き入っていたみたい。
(『枕草子』に書かれています。)


仏様のおっしゃられた通りに、

“正しい修法(御修法・みしほ)をおこなう”ので、

「御(おん)おこない」と呼ばれ、
またたんに「おこない」とも呼ばれるようになりました。
(これは、帝釈天など仏教守護の善神たちに“リアルに監視されている”という緊張感があったみたいです。)

1月は、
この“正しい「おこない」をおこなう月”なので、

「御正月」

と言われるのです。


さて、「おこない」はやがて「オコナヒ」と呼ばれ、
各農村の土着の信仰と混ざりながら、ビミョーに変質しつつ継承されてゆきます。
「餅」「注連縄」「参籠」「牛王宝印」など、独特のキーワードが共通でありながらも、
もはや各地で、てんでバラバラの“村の特別な祭り”となってゆく。

そして、
時代が下っておそらくは江戸時代くらいから、
江戸の町衆の年越し-新年の行事として、
“大晦日から宵越しの寝ずのお参り”としての「初詣」の風習は定着してゆきます。

つまるところ「初詣」って、もともと参籠行だったんです。
それが、だんだん簡略化され、娯楽化されてゆく。
「じゃあ、次はあそこのお寺さんにお詣り行こうか」みたいな、飲み会のハシゴみたいに。


だけどね。
もともとは、厳しい修行である“参籠行”を通して神仏のご加護を戴き、
さらに言えば、その信仰する神仏からのアドバイス-お告げを得るのが、目的だったんです。

まずは“修行にのぞむ心構え”が必要であって、
それから、“自分の願いは何か”、
“どの神仏に祈願するのか”、
そして“どうやって験(しるし)を得るのか”。
これらを明確にしなければならなかったのです。


自分の直面している問題に対しての解決策を、信心している神様仏様から得る。

そのもっとも直接的な方法とは、
神仏の生身のお姿を拝むこと。
お会いして、直接お言葉を戴くこと。これって、かなりショッキングな神秘体験!

それよりややおとなしいのが、声を聞くこと。お姿はナシ。

それよりも一層ハードルが低いのが、夢に見ること。
まあハードルが低いと言っても、
だいたいが“寝ずの参籠行中のこと”ですから、
夢ともうつつとも知れぬ、
「夢遊状態のトランスの中での神仏との出会い、お告げ」なワケです。
結構難しそうですね…。


さあ、ここまではついて来られましたか?ガッテン?

この、夢のお告げよりもより一層誰にでも可能な、
誰にでも開かれている方法こそが、
「おみくじ」。
そう、
初詣に行くと、みんながついつい引いてしまうやつです。

「おみくじ」こそは、誰にでも得られる“お告げ”なんです。
なんせ、紙に書いてありますから。
でも、
なーんも考えずに、
神仏に手すら合わせずに、「なんかいいことないかなー」と思って引いたって、
それはお告げでも何でもない。本当に、ただの“運だめし”。
ま、もちろんそれでいいと思っている人の方が、多いんでしょうけど。


今までの流れを踏まえれば、
まずは神仏にお参りし、ご挨拶し、自分なりに誠意を示すこと。これが必須で、
さらに、
その神仏のご意見を伺いたいことを心中で問いかけ、
“神様仏様、私はどうすればよろしいでしょうか?おみくじにてお導き下さい”とお願いしてから、
おみくじを引くべきでしょう。

おみくじ自体も、いろんなことが書いてあります。
そのなかで、今の自分に関わる部分だけを読めばよいでしょう。
質問に対しての答えは、自分なりに読み解けばよいのです。
さらに言えば、
おみくじを通してお告げを下さったことに感謝申し上げて、
もう一度ご挨拶のお参りをしてから、その場を離れれば、道理としても失礼がありませんね。


さあ、どうでしたか?
「初詣におみくじは、正しい!」でしょ?
2011_09
18
(Sun)21:57

ちょっくら、おみくじの解説をしてみる。 ~「月」篇。

この間、おみくじには詳しいと申しましたので、
前回の話題の「月」に関するおみくじについて、ご紹介しましょうか。

『観音百籤』。
これが大半のお寺で江戸時代から現代まで用いられているおみくじの名前です。
(天台宗系では、これを『元三大師みくじ』と呼んでいます。)
つまりおみくじは全部で100あるんです。
そして、その中心はあくまでも五言絶句の漢詩。
観音様からのご宣託としての漢詩。
ひらたく言うと、「お告げ」。
最初は、吉も凶もなく、ただ漢詩の書いた紙きれだったようです。

それじゃ、よくわかんないね。
と、吉凶がつき、さらに解説、それに「旅立ちよし。待ち人来たる…」などという項目も加わってゆく。
しかし、それらはぜーんぶおまけ!
なんてったって、本質は漢詩です!
これを、自分の今の境遇に照らし合わせて、
自分自身の運気の上がり下がりを観音様から教えて頂く、というのが本来。


とりあえずはこれくらいにしてぇ、
100のうち、「月」の出て来る漢詩がいくつあるか調べてみました。

いくつだと思います?
あ、女の人に「ねえ、いくつ?」って聞いちゃダメですよ。しつれーだから。

正解わ。


23。


けっこう、多いですよね。

それをぜんぶ書いてもいいんですが、お互いに飽きると思うので止めときます。

というわけで、面白そうなところをピックアップしてごしょうかいー!

第2 小吉
月被浮雲陰・立事自混迷・幸乞陰公佑・何慮不開眉。


月は浮雲の陰とせらる 事を立つるもおのずから混迷す
 乞い幸(ねがわ)くは陰公の佑(たすけ)を 何ぞ、眉の開かざるを慮(おもんぱか)らん


読み下しただけじゃ、わかりにくいっすね。

月は雲の陰にかくれてしまう。自分で立てた計画がどれもうまくいかなくなる。
そんな時は、月の女神に助けを求めるとよい。困り顔で悩んでいる必要なんてなくなるから。



「陰公」とは「月の女神」だそうです。
そして、我が身に引き合わせて考えると、それは「陰ながら自分を支えてくれている人」。
「内助の功」という言葉もありますが、それは自分の奥さんだったり、お母さんであったり、
女性に限定しなくても、コツコツと自分を支えてくれる部下であったり…。
つまり、
普段は気にも留めていない、当たり前だと思い込んでいる身近な人に、
改めて感謝の気持ちを伝えて、助けやアドヴァイスを求めることが出来れば、
今の問題は案外かんたんに解決する、ってこと。

このおみくじの面白いのは、「月」と「陰公」、ふたつの月が出て来るんだけど、
まったく違うものとして機能しているところ。


じゃあ、つぎ、いってみよう!

第36 末吉
先損後有益・如月之剥蝕・玉兎待重生・光華当満室。


先は損じ、後に益あり。
月の蝕を剥ぐるがごとし。玉兎の重生を待て。光華、まさに室に満つ。

始めは損をするが、後になって利益が出る。月蝕が終わって、薄皮一枚一枚はがれて再び輝き出すようなもの。
「玉兎=月」がまんまるに光り出すまで待て。そうすれば、おまえの部屋にも光が満ち満ちるだろう。


月の異名はいくつかあります。
まず、前回の「蟾蜍・せんじょ」。
そしてこの「玉兎・ぎょくと」。
ほかには「月桂・げっけい」。
どれも、月に住む、生える生き物たちの名前ですよね。
前回の記事の下敷きがあれば、なんだか楽しいですよね。

とくに「玉兎」は「玉」ですから、“まんまるで、きれいで宝物みたいなお月さま”って感じですよね。
「月蝕」が終わるのを、“(薄皮を)剥ぐ”ととらえるのも、なんだか面白い。

内容は、
「まああせるな。そのうちうまくいくから。」
ってなところでしょうか。



じゃあ、最後にもひとつ。

第38 半吉
月照天書静・雲生霧彩霞・久想離庭客・無事惹咨嗟。


月は天書を静かに照らす。雲は霧や彩霞を生む。
久しく離庭の客を想う。事もなく、咨嗟を惹くのみ。


月は夜空を静かに照らしている。夜空の雲が、濃淡のある霧や霞を生み出している。
永らく離れ離れになっている人のことを想って、なんとなくため息ばかりついている。


まず「天書・てんしょ」ですが、
神々の意志が天に「星」として、文字として書かれている、んだそうです。
つまり、
星々は、神様にだけ読める文字で世界の運命が書かれている。

静かな風景だけど、
第一句で、すでに自分の置かれている運命について、想いを巡らしているんです。

「雲」は「月」を隠すもの。
「月」は「ツキ」、良い運命を象徴しますから、
「雲」はそれだけで、まさにこれからの運命に立ちこめる「暗雲」をあらわすわけです。
その「雲」が、
「霧」や「霞」を生む。
まさに、いろとりどりの悩みが尽きない、といったところでしょうか。

「離れた庭の客」とは、近くにいない、大事な人。
友達かもしれないし、恋人・伴侶かもしれない。
その人の助けさえあれば、今の境遇を抜け出られそうなんだけど…。
そんなことを想ってみても、
やっぱりなんにもならない。
なんにもならないん、だけどなぁ…。

といったところでしょうか。

文学としても、十分に味わいがありますよね。


だいたい「月」は、運命の「ツキ」を現わしているようです。
みなさんも、おみくじを引いて「月」が出て来たら、
その「月」が見えているのか、隠れているのかを見てみて下さい。

それと、あんまり自分の境遇とかけ離れていると思ったら、気にしないこと。
元来、おみくじとは、困ったことがあって神仏にお伺いを立てたい時に引くもの。
なーんにも悩みもなくって、ただの運だめしに引いてみても、
そんな意識の人間には、神仏も真剣に感応などしないもの。
だから、あんまり意味のないおみくじってわけ。

求める者にだけ、開かれるものなのです。


せめて、まずは神仏にご挨拶・お参りをしてから、おみくじを引きましょうね。
それから、何が書いてあっても、お礼を言いましょう。
自分では気づかない何かを示唆してくださっているのかもしれませんから、ね。

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