2011_10
16
(Sun)07:01

阿弥陀大呪の次は、『往生呪』のご紹介!

知り合いのお坊さんからもらった黄檗版『阿弥陀経』(手刷り印刷です!)
最後にちょっと面白い陀羅尼が載ってたので、ご紹介します。例によって、漢字はややこしいから省略。


「抜一切業障根本得生浄土神呪

なむ あみたばや たたぎゃたや 
たぢやた
あみりーとばべぃ
あみりたー しぢばべぃ
あみりたー びきゃらんてい
あみりたー びきゃらんたー ぎゃみねー
ぎゃぎゃなー きたきゃれー
そわかー

もし善男子や善女人がよくこの呪(マントラ)を唱えるならば、阿弥陀仏は常にその者の頭の頂きに住んで、日夜にお守りします。
人の恨みを買うこともなく、この世では安穏に、臨終にはお迎えに来られて往生もお任せです。」


えー、割と丁寧にご紹介してきた「阿弥陀如来根本陀羅尼」を読んで下さればお分かりかと思いますが、
これはその省略版?ですかね。

では、せっかくだからサンスクリット語を充てていきましょうか。


なむ あみたばや たたぎゃたや
namaḥ ārya-amitābhāya tathāgatāya
 
たぢやた
tad yathā

あみりーとばべぃ
amṛta-ud-bhave

あみりたー しぢばべぃ
amṛta-siddhi-bhave

あみりたー びきゃらんてい
amṛta-vikrānte

あみりたー びきゃらんたー ぎゃみねー
amṛta-vikrānta-gāmine

ぎゃぎゃなー きたきゃれー
gagana-kṛti-kare

そわかー
svāhā


人によっては、「こちらは不完全な省略版に過ぎない」と考えたりもするみたいが、
完全には一致しないことと、
どの句をチョイスしているか(つまりは重要視しているか)なども併せて考えると、
もしかすると、阿弥陀大呪からの省略版ではなく、
こちらが元で、さらに増補されて阿弥陀大呪になった、という可能性も。。。
(もちろん、こちらが省略版なら、どこをチョイスしたかはさらに重要になりますよね!)

じゃあ、訳してみよっか。


阿弥陀如来に帰依したてまつる。

すなわち、
甘露を生み出す方よ。
甘露の成就を在らしめる方よ。

勇猛なる甘露よ。
甘露の勇猛なることを行ずる方よ。

虚空のごとき作用なす方よ。

幸あれかし!


語句が少ない分、阿弥陀仏様のどこにフォーカスを当てているかが興味深いですよね。
特に
「甘露の成就を在らしめる方よ。」
という一文は大呪にはないので、注目にあたいします。
(サンスクリット文法的に、あってるのかちょっと自身無いけど…)

あ、それと一応、『抜一切業障根本得生浄土神呪』は

『往生呪』

という通称があるみたいですよ。
一日六回、この往生呪を21回づつ唱えるといいらしいですよ。
20万回で菩提が得られて、
30万回で阿弥陀仏様にお目にかかれる、って解説もあります。

レッツ トライ!
してみては?
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2011_10
05
(Wed)14:12

今んところの、『阿弥陀如来根本陀羅尼』。

さあて、今現在のワタシメが訳した阿弥陀大呪です。
また、直訳と併記しておきますね。
ちょっと前回よりも、長ったらしい感じもしますが、まあいいや。
では、いきます!

『阿弥陀如来根本陀羅尼』(えいしん38歳・意訳)


み仏と、その説きたまえるみ法と、そのみ法に従う聖なる方々とに、私の命をささげてお敬い申し上げます。
((仏・法・僧の)三宝に帰依し奉る)


聖なるはかり知れない光に、真理の体現者に、ささげものをするにふさわしい、真に正しき普き覚りを開かれた方に、私の命をささげてお敬い申し上げます。
(聖なる無量光如来・応供・等正覚に帰依し奉る)

私はそのお方を様々にほめ讃えましょう。
(即ち)

オーム(全身全霊をかけて敬い、没入して一体化することを願います)、(輪廻という死の繰り返しから解放して)不死を与える(=極楽へと生まれ変わらせる)甘露よ。
(オーム、甘露よ)

甘露をその内より生み出す方よ。  甘露と共に生まれる方よ。
 (甘露を生み出す尊(みこと)よ   甘露の源なる尊よ)

甘露を内に宿す方よ。  甘露の完成を成し遂げた方よ。
 (甘露の胎よ       甘露を成就する尊よ)

威力に光輝く甘露よ。
(甘露の威光よ)

勇ましく力強き甘露よ。  勇ましく突き進む力を与える甘露よ。
 (甘露の勇猛なる尊よ    甘露の勇猛なることを行ずる尊よ)

虚空のようにすべてを包み込む甘露よ。  打ち鳴らした鼓の音によって人々を鼓舞するように真理へと目覚めさせる甘露よ。
 (甘露の虚空の(如き広き)作用をなす尊よ   甘露の鼓の如き音よ)

人生におけるすべての課題を完成させる甘露よ。  人生におけるすべての業を断ち切り、煩悩を消滅させる甘露よ。
 (全ての目的を達成させる尊よ    全ての業と煩悩とを消滅させる尊よ)

あなたと共に、すべての幸いあれ!
(スヴァーハー)
2011_10
01
(Sat)00:09

阿弥陀大呪、今見ると硬派な意訳!

でわでわ、先日お約束した『阿弥陀如来根本陀羅尼』の意訳です。
20代のころに書いたもので、ちょっと文語体というか、古典的な言い回しですね。
今読んでもなかなか面白いなぁ、と手前味噌ながら思ったりするのですが、
ちょっと読んでもらった知り合いには
???
だったみたいで・・・。
ですので、次回には、アラフォーのワタシメが軟らかめに訳し直したものもご紹介します。
(あ、ナンパな訳か!)

まあとりあえず、今回は硬派な訳で。
押っ忍!
(カッコ内は、前回ご紹介した逐語訳です。ニュアンスを比較して頂ければ。)



『阿弥陀如来根本陀羅尼』(硬派な意訳)

比類なき光と、光へと至る道と、光に照らされ賦活(ふかつ)されし生命とに帰依し奉る。
((仏・法・僧の)三宝に帰依し奉る)


帰依し奉る、神聖なる際限なき光よ。真如より来たれる尊(みこと)よ。最上に尊き者よ。正しく菩提と共に在る者よ。
(聖なる無量光如来・応供・等正覚に帰依し奉る)

その姿をつまびらかに讃えん。即ち、
(即ち)

おお、不死なる永遠を与えし甘露よ。
(オーム、甘露よ)

  湧き出づる甘露にして  甘露の泉と共に在る尊よ。
  (甘露を生み出す尊(みこと)よ 甘露の源なる尊よ)

  秘められし甘露にして  甘露の満てる姿よ。
  (甘露の胎よ         甘露を成就する尊よ)

甘露の偉大なる働きをも讃えん。
(甘露の威光よ)

  勇猛なる甘露にして  甘露を勇猛ならしめる尊よ。
  (甘露の勇猛なる尊よ      甘露の勇猛なることを行ずる尊よ)

  広大無辺なる静寂の甘露にして  全ての者を力づける音楽なる甘露よ。
  (甘露の虚空の(如き広き)作用をなす尊よ 甘露の鼓の如き音よ)

  ありとある行いを成就せし尊にして  ありとある行いの汚れを削ぎ落とせる尊よ。
  (全ての目的を達成させる尊よ    全ての業と煩悩とを消滅させる尊よ)
まことに吉祥あれかし、弥栄(いやさか)!
(スヴァーハー)
2011_09
28
(Wed)12:26

では、いきます!『阿弥陀如来根本陀羅尼』の逐語訳!

でわ、お待ちかね。
(え!?だれも待ってないって!?)

『阿弥陀大呪(阿弥陀如来根本陀羅尼の略称)』の逐語訳ですよ!



『阿弥陀如来根本陀羅尼』

のうぼあらたんのう たらやーやー
namaḥ ratna trayāya
(仏・法・僧の)三宝に帰依し奉る

のうまく ありやーみたばやー たたぎゃたやー あらかてい さんみゃくさんぼだやー
namaḥ ārya-amitābhāya tathāgatāya arhate saṃyaksambuddhāya
聖なる無量光如来・応供・等正覚に帰依し奉る

たにやたー
tad yathā
即ち

おん あみりてい
om amṛte
オーム、甘露よ

あみりと とばべい   あみりた さんばべい
amṛta-ud-bhave   amṛta-sam-bhave
甘露を生み出す尊(みこと)よ 甘露の源なる尊よ

あみりた ぎゃらべい   あみりた しっでい
amṛta-garbhe       amṛta-siddhe
甘露の胎よ         甘露を成就する尊よ

あみりた ていぜい
 amṛta-teje
甘露の威光よ

あみりた びぎゃらんてい   あみりた びぎゃらんたーぎゃみねい
 amṛta-vikrānte       amṛta-vikrānta-gāmine
甘露の勇猛なる尊よ      甘露の勇猛なることを行ずる尊よ

あみりた ぎゃぎゃのーきちきゃれい   あみりた どんどび そばれい
 amṛta-gagana-kṛti-kare       amṛta-duṃdubhi-svare
甘露の虚空の(如き広き)作用をなす尊よ 甘露の鼓の如き音よ

さらばー あらたー さだねい   さらばー きゃらまー きれいしゃ きしゃよう きゃれい
 sarva-artha-sādhane      sarva-karma-kleśa-kṣayam-kare
全ての目的を達成させる尊よ    全ての業と煩悩とを消滅させる尊よ

そわか
svāhā
スヴァーハー


以上でありんす。

どうでしたか?
さっぱりわかんない?

基本的に、真言マントラとはその仏尊・尊格への呼びかけです。(陀羅尼とは、マントラの長文のもの。)
呼びかけて、ほめたたえて、お慕い申し上げて、
まずは振り向いて頂く。
そして、できますれば、わが願いを叶えたまえ・・・
と、すがるようにお願いする。
だって、仏様とヒトごときでは、ラベルが、いや、レベルが違いすぎますよ。
そこをなんとかお願いしたい、という行法・体系が、真言なのではないか、と。
だから、ことばを尽くしてほめたたえまくるんです。それしかない!
その上で、願いごとを聞いてもらえるかどうかは、天におまかせ。いや、仏におまかせ。

そういう、「仏様お願いセット」がパッケージされているのが、“陀羅尼”なんじゃないのかな~。

あ、そういえば、「鼓」はサンスクリットの「duṃdubhi」の音そのものからきているんだよ。
「応供」というのは、“お供えを差し上げるのに相応しい人”つまり、聖者。煩悩を断ち、輪廻に戻ることも無い完成形の聖者で、原語では「arhat」漢字で「阿羅漢」。
「きゃらま」は「カルマ」、つまり「業」。

まあ、そんな感じでちょっとでも聞いたことある単語があると、親しみも持てやすいのでは?


次回は、むかしのメモに記された、硬派な意訳をのっけちゃおうっと。
2011_09
27
(Tue)06:40

『阿弥陀大呪』の読みならわしと、サンスクリットをくらべてみよう!

でわ、きのうのつづき。
みなさん、もう憶えましたか?
(←そんなワケねーだろっ!)

ええっと、インド語といっしょにご紹介するんでしたね。


阿弥陀如来根本陀羅尼

のうぼあらたんのう たらやーやー
namaḥ ratna trayāya
のうまく ありやーみたばやー たたぎゃたやー あらかてい さんみゃくさんぼだやー
namaḥ ārya-amitābhāya tathāgatāya arhate saṃyaksambuddhāya
たにやたー
tad yathā
おん あみりてい
om amṛte
あみりと とばべい   あみりた さんばべい
amṛta-ud-bhave   amṛta-sam-bhave
あみりた ぎゃらべい   あみりた しっでい
amṛta-garbhe       amṛta-siddhe
あみりた ていぜい
 amṛta-teje
あみりた びぎゃらんてい   あみりた びぎゃらんたーぎゃみねい
 amṛta-vikrānte       amṛta-vikrānta-gāmine
あみりた ぎゃぎゃのーきちきゃれい   あみりた どんどび そばれい
 amṛta-gagana-kṛti-kare       amṛta-duṃdubhi-svare
さらばー あらたー さだねい   さらばー きゃらまー きれいしゃ きしゃよう きゃれい
 sarva-artha-sādhane      sarva-karma-kleśa-kṣayam-kare
そわか
svāhā

まず、みなれないアルファベットがありますが、
母音の上に横棒で、長母音。
つまりは、伸ばす音です。
だから、
「ā」は「あー」。
「ī」は「いー」。
「ū」は「うー」。

わかったって?

いや、ちょとややこやしいんです。
「e」と「o」は、横棒なしで、無条件で長母音。
だから、
「e」は「えー」、
「o」は「おー」
と発音するんです!

ええー???

発音するんです!!

わかりんこ?

あと、
「ṛ」は母音だからね。
なんとなく舌を巻いて「っるっっ」だか「っりっっ」だか、って感じの発音らしい。。。

なんせ、サンスクリットには母音が12あるから。(←わけわかんないかもしんないけど、いちおうリンク貼っておきます。)

ですから、日本人はあまり意識しませんが、
「陀羅尼」を読む時には、
本当は長母音か短母音かの明確な違いがあるのです。
まあ実際、現場では、読みくせで、いい加減に伸ばしまくってますけどね。

いちおう、原語がどういう発音かをある程度わかってもらえたら幸いです。

それにしても、ヘンな読みくせや、「漢字の当て字をさらに違う読み方で読む」なんてトンデモなことをしちゃって、
「これがウチの流儀の読み方や!」
みたいに開き直るのも、どうなんでしょうね・・・。

ネット時代やからねー。
「ダラニは訳しちゃいかん!」
とか、
「このまま読んだらええんや!よけいなこと考えるな!」とか、
ゆうてるのも、なんやえらいアナログに思えます・・・。

正確な情報を吟味せんとね。


というわけで、次回は、原語の逐語訳をご紹介します!

Coming soon!

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