2011_12
16
(Fri)02:14

シラー原詩「喜びによせる」、解説してみる。。

さあ、折角ですから、シラーさんの想いを少し解説して差し上げましょうか。

前々回、ベートーヴェンくんがバッショイ、ちがった抜粋していじっちゃった部分の解説はしましたが、
シラーさんの原詩はご覧の通り、その3倍くらいあるんですよ。
ということは、籠めたかった想いも3倍。
でも、めんどうだから解説は簡単にしーよおっと。

ぶっちゃけ、キーワードは三つかな。
「喜び」
「酒」
「兄弟」。


そして、敵は「権力者」。
そこに、キリスト教の匂いが、プンプン。

まあ、ざっとこんな感じです。

まず「喜び」ですが、シラーさんによると、どうやら「喜び」こそが現状を改革する力になるらしい。
傷つくことを恐れない熱狂。
自らが正しいことを知っているからこその勇気。
そしてそれは、本当の自由を知ったからこその、「喜び」。

これが、この詩の表向きのテーマです。
「さあ、みんな、喜ぼうよ!」
「本当の喜びを知りたいなら、やるっきゃないよね!」

・・・なんだか、わかったような、わからんような。
そうさね。「裏の想い」をハッキリ書きましょうね。
「ズルイことしてみんなをいぢめてのさばってる、あんないやな奴らを、権力の座から引きずり降ろせ!
あいつらから解放されてこそ、真の自由がある!これこそ、俺たちの本当の喜びなんだ!YO!」
ハイ。
だから、「絶望と勇気」が必要なんですね。
なんせ、権力者にねじ伏せられておしまい、なんてエンディングも想定内なんスから。

でね。
「喜び(というか、真の解放)」を手に入れるためには、
“それを手に入れたいッ!”っていう熱狂が必要なワケ。
そう、まるで“お酒に酔った”みたいな。
というわけで、冒頭に、早々に出て来る「feuertrunken火に酔って」(これはシラーの造語だそうです)に始まって、
お酒でカンパーイ!
みたいな言葉が頻出するんですぅ。
ここには、“「権力者=悪=神の命に背く者」に対峙する我々”、という構造がありますから、
必然、“我々”は「神に従う者=神が味方についている者」というワケで、
「“十字架でのはりつけで命を落としたキリストの血”を象徴する〈ワイン〉を飲むのは俺たちだ!!!」
的なワガママ、違った主張が繰り返されるワケで。
それも、いつの間にか「金に輝く発泡酒」になってるし。
たぶん、「第三のビール」だよ。
いや、実際にシラーさんがドイチュ人、ということをふまえると、マジで「ビール」を念頭に置いてたのかも。
なんせ、水のように、いや水よりもビールを飲むお国柄ですから。
まあ、表現としては
「ラム酒」
「金色の血でできたワイン」
「スピリット」(原詩では「Geist霊」。spiritに「お酒」という意味があるのは知ってるんだけど、ドイツ語の「Geist」にもそんな意味があるのかは、残念ながら存じません。しかし、「父・子・聖霊」の三位一体のなかの「聖霊spirit」に「酒」という意味も含ませ、“真理のために闘い抜く”という〈美酒〉に酔った〈魂〉が、その湧き立たせた〈魂〉を天球の上までも飛ばす、というのは、かなり洒落がきいてるなァ、と感心してしまうんでありんす。)
などと、なんだかいろんな種類のお酒、登場でござーい、って感じですけど。

そしてね。
「兄弟」。
「アナタハ、神ヲ信ジマスカ?ワタシタチ、ミナ、兄弟!」
なんて言われると、
「いえ、アナタとは、他人です。」と心の中で返事しながら、ちょー早足になりそうですが。

シラーさんは、いちおう、悪い奴らも
“父なる神の御前では、だれしもが兄弟だ”
とおっしゃりたいんです。
でも、
“あんなイヤな奴らは、救われんでもいいだろう。”
とも思っておられるご様子。
“お前ら、イヤなことばっかりしやがって!オレらのこと、「兄弟」なんて言えんのか?お前ら、ともだちおらんやろ!”
みたいなことが、腹んなかをグルグル、うずを巻いている感じなのなの。ト、トイレ…。

まあ、なんせ、
「心正しき者こそが救われる」
「父なる神は誰もを平等にお救いになる」
「兄弟と呼びあえる者同士ならば、必ずや誰もが救われねばならない」
そして、
「独裁者よ、最期の審判の日に、お前は“兄弟”と呼ばれる資格があるのか?」
こんな想いが入り混じり、主張としてはブレまくっているワケで…。
でも、当たり前ですよね。
当時はこうもハッキリ体制批判をすれば、おそらく命は無かったでしょうから…!
ですから、「神を讃える詩」という体裁を保ちながら、
わかる人にだけ強烈にそのメッセージが届くように、工夫を凝らして書かれたわけなんです。

オモシロイ表現としては、
“占星術師たちの望遠鏡も届かないところ”
これは、未来を予言する者たちもわからないような未来を、太陽たちが新しい軌道を作って切り開く、ということ。
“太陽たち”って、情熱に溢れた、勇気ある革命者たちのこと。

〈偉大なる世界時計の車輪〉
これって、「運命の歯車」みたいなことだよね。

天使たちの名前が出て来るのもおもしろいよね。
天使の位、上から二番目のケールプ(ケルビム)は、この位になってはじめて「父なる神」に直接お目にかかれる存在、ということだけど、
セラフィムって、最上の天使で“神を讃えたい気持ちで燃えている”から「熾天使」なんて呼ばれてるのねん。知らんかった。

“古びた棺のふた”を蹴破って
これって、独裁者のもとでキュークツになって死にそうになっている自分たちが、その現状を打破する(眠眠打破?)ことの比喩なんですよね。

ちょっとニュアンスが似てるけど、
“死者の白布”に包まれて
て言うのは、「最期の審判の日まで墓の下で眠り続ける」ということ。
全人類が裁かれる、というその日まで、クリスちゃんたちはみーんな墓の下で寝て過ごす、らしいので。
そんでそん時、
「兄弟よ。」
と呼ばれて、俺たちゃ
「ハーイ!」と返事できるけど、
悪い奴らよ、おめえらは、返事できるのけ?
ということ。
もしかしたら、批判がばれて討ち死にしても、最期の日にはオレ、救われるもんね!的な主張なのかもしれません。
(おバカに書いてるけど、めちゃめちゃ重いんすよ!?シラーさんも、覚悟いっただろうなァ。思ったことをわかる人にはわかるように書くのって。)


さあ、なんだかんだまた長ーくなっちゃったけど、最後にもうひとつ。


“嘘つきたち”から与えられるパンなど口にするな!
これって、今の原発問題を誤魔化そうとしているお上に対しての言葉に思えてならないんですけど…。

「勇敢であろうとすること」、それは美しい。
悲しみや困難が先に訪れたとしても、
それをさらに上回る喜びがやって来るのだ。


原発マネーで骨抜きにされている官僚、マスコミなどあてになりません。
いつの間にか情報操作されて、
「原発?まだそんなこと言ってるの?」といったムードが、
うまーく演出されてるぢゃないか。
いえいえ、なんにも終わっていないどころか、
毎日、元気に吐き出してますよ!毎時0.6億ベクレルもの放射性物質を。
「喜び」がやってくるかどうかはわかりませんが、
起こり得る「悲しみ」を少しでも予測し、少しでも回避できる方法を模索し、世間に訴えること。
これは、決して無駄ではありません。

後悔の痛み、涙を一粒たりとも流すことなどないのだ。

そう、本気で向かい合うならば、ね。
今からでも遅くない!原発問題に、みなさん真剣に向き合いましょう!
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2011_12
13
(Tue)06:56

第九シリーズ、シラーの原詩「喜びによせて」、テキトー訳、公開!

今回のブログの解説を書くために、参考に訳してみたのですが、
ちょー手抜きなので、あってるのか、イマイチ責任は取れません・・・。
でもまあ、ほかにそんなサイト様も見当たらないみたいなので、多少はお役にたちますでしょうか。
ちなみに、参照にしましたサイト様は、こちら。ドイツ語と英語訳とが載ってます。

では、いきます!(ちょっと長いですよ。)

「喜びによせて」シラー

1-8
〈喜び〉よ、美しい神々の輝き、楽園からの乙女よ。
我々は火に酔いしれて、天空の、汝の聖域に入らん!
汝の力は再び一つにする、世の流れが厳密に分けてしまったものを。
貧しき者たちも王侯の兄弟となる、もしも“〈喜び〉のおだやかな翼”にとどまったならば。

9-20
抱き合うがいい、幾百万の人々よ!この口づけを、全世界に!
兄弟よ―星々の天幕の上方に、〈一人の愛する父〉は住むに違いない。
“〈一人の友〉の友であること”という偉大な試みの成功した者や、
“〈一人の優美な女性〉を獲得した者”は、その歓声を口にせよ!
そう、実際に〈一つの魂〉をこの地球上において「自身のもの」と呼び得るのならば!
そしてそれができない者は、泣きながらこの集いからひっそりと立ち去れ。

21-24
おおいなる円環に住まう者たちすべてに、共感の敬意を払おう!
その敬意こそが、「まだ見ぬ治世の地」という星々の世界へと導くのだ。

25-32
〈喜び〉を飲む、全ての存在は。あの“自然の乳房”にては。
全ての善きもの、全ての悪しきものはその“バラの道”をたどって行く。
(祝福の)口づけを自然は私たちに与えたもう。そして“血たるワイン”、〈死の試練を通った一人の友〉をも。
〈性的快楽〉ならば虫にさえ与えられている。
そして天使ケールプ(ケルビム)ともなれば神の前に立つ(〈栄誉〉が与えられたのだ)!

33-44
汝らは賤しい身分へと転落する。(そうだな、)諸人よ?おまえは〈創造主〉を予感するか、世界よ?
探し求めよ、〈父なる神〉を、星々の天幕の上方に!
星々を過ぎれば神は住みたもうに違いない。
〈喜び〉は強力な動機なのだ、永遠なる自然の中では。
〈喜び〉よ、〈喜び〉よかの〈偉大なる世界時計の車輪〉を動かせ!
花々よ、芽を揺り動かせ、
“太陽たち”よ、天より飛び出せ、
天球よ、宇宙の遥か遠くへと広がって行け!
そう、“占星術師たちの望遠鏡も届かないところ”へと!

45-56
喜ばしい!その“太陽たち”が〈天のすばらしい計画〉を飛んで行く。
天駆けよ、“兄弟たち”よ、それぞれの道を!“喜び勇んで勝利へと突き進む英雄”のように。
〈喜び〉は、真理の炎に照らされた反射のようだ。
〈喜び〉は、真理探究者に微笑むのだ。
〈喜び〉は、困難の待ち受ける、しかし実りの多い美徳の丘へと導く。
求める者は、太陽の輝く険しい山頂に到った時に、風の中で力強くはためく旗を見るのだ。
その時、“古びた棺のふた”を蹴破って見るだろう、天使たちの大合唱を。

57-68
“万人”よ、勇敢につき進め、よりよい世界のために!
天球の上より、〈父なる神〉は汝らを利するであろう。
礼拝などではだれも報われないのだ。
しかしながら、「勇敢であろうとすること」、それは美しい。
悲しみや困難が先に訪れたとしても、
それをさらに上回る喜びがやって来るのだ。
憎しみや報復も忘れ去られるであろう。
そうして、“我々にとっての致命的な敵(独裁政権か)”さえ、忘れ去られることとなる。
後悔の痛み、涙を一粒たりとも流すことなどないのだ。

69-80
我々の苦痛の訴えはもはや打ち砕かれた!
世界は一つなのだ!
“兄弟たち”よ、天球の上の〈父なる神〉も、我々と同じように裁きをなされた。
〈歓喜の美酒〉は乾杯の盃の中で泡立っている。
それは、“金色の血”で出来たワインなのだ!
まろやかな祝祭の酒を飲むがよい、それは絶望と勇気の味―
“兄弟たち”よ、自らの席から飛びあがれ!
満杯のラム酒を回して注ごう、
天までも発泡の泡を立ち上らせよ!
これぞ、まさに良き“スピリット”なのだ!

81-92
“星々の敬愛する〈父〉”に、
“天使セラフィムが讃美歌で讃える〈父〉”に、
この盃を、この良き“スピリット”で乾杯!
天球の上へと!
“勇気”と、“大いなる痛み”とを決意せよ。
“無垢な涙”を持って助けを求めよ。
永遠に続けるべき、全ての人類の“兄弟としての誓い”。
真実は、敵も味方も越える。
人としての、王の玉座の御前での誇り。
“兄弟たち”よ、その誓いとは、私たちの“命と血”でさえあるのだ。
“この誓いを持つ者たち”へと、〈冠〉は授けられる。
“嘘つきたち”から与えられるパンなど口にするな!


93-104 
〈聖なる輪〉は閉じられた。この“金のワイン”によって誓うがいい。
かの誓いに忠実であらんことを。
〈星々の上の審判者〉に誓うのだ!
暴君による鎖を持参せよ。
悪漢へもまた寛大ならしめよ。
いまわの際での希望!
〈最期の審判者〉からの御慈悲!また、死者たちは蘇るのだ!
“兄弟たち”よ、このワイン(喜び)を飲むのだ、〈黙示録の鐘〉の響き渡る中で。
もはや罪人はすべて許された。もはや地獄も存在しないのだ。


105-108
さあ、しずかなお別れの時だ!
“死者の白布”に包まれて甘やかな休息だ!
「兄弟たちよ」―これぞやわらかな聖句
最期の審判の口から語られるであろう言葉! 
(終)

2011_12
12
(Mon)06:13

第九の歌詞って、「喜びの歌」!?

しつこく『第九』ですが。
このブログを読んで下さっている方なら、もうおわかりでしょう。

いわゆる「喜びの歌」、
♪はーれーたーるーあーおーぞーらー、たーだーよーうーくーもっよー
あれって、ぜんぜん内容がちがいますよね!

フロイデー、シェーネッル、ゲッテルフッンケッン、トホテル、アウス、エリーズィウーム!

訳詞って、音楽にピタリとはまりにくいもので、なんだか日本語のもったり感がでてしまうものなんですけど、
どうにかこうにか、歌える日本語訳ってのを作ってみました。
4年くらい前に、長谷寺の忘年会の余興で作ったんすけど…。
あ、いわゆる「喜びの歌」の部分だけです。
第九の歌詞全体ではありませんので、悪しからず。

では、いきます!

喜びよ、清らな神の光よ、楽園からの乙女よ!
我々は陽気に足を踏み入れる、聖なる歓喜の園へ
喜びの力は蘇らせる、時の流れで失いしものを
全ての人は友情に目覚める、柔らかな羽根に包まれ


歌ってみると、こんな感じ。

よろっこびよ!きーよらーな神のひかっりよ!らっくえんかっらの、オとーめよー!
われっわれっは、よーきっにあっしを、ふみっいれっる、聖なる歓喜のそーのへー!
よろっこびっのちっからっは、よっみがっえらっせる、とき―のなっがれーで失いしモノヲ、
すーべてのひーとは、友情にめーざメル、ヤわーらかーなはーねに、つつーまれー!


カタカナ半角は、すばやく言っちゃうところ。

まあ、何とも言えないもったり感がありますが、
訳詞って、こんな限界があるよね・・・。
テキトーにお楽しみ頂ければ、これ幸いです。



2011_12
09
(Fri)17:18

『第九』の解説。宗教性バージョン。。

では、前々回からのつづき。
第九の歌詞を、もう少しこまかく、というか、宗教的に見てゆきまっしょ。

まずは、ギリシア神話。
人間は、昔は神々と共に暮らしていました。
人も神と同じように、ピカピカに輝いていたんです。
これを、黄金時代といいます。
だんだん時代が悪くなっていって、白銀の時代、青銅の時代、そして現在の鉄の時代。
ここらが、「時代によって分断された」なんて歌詞のバックボーンではないか、と。
また、黄金時代の楽園としての「エリーズィウム(エリュシオン)」が、憧憬と回帰願望の対象として出て来るでありんす。

ま、でもこれらは、おそらく“信仰”というよりは、“教養”だったんでしょうね。西洋人としての。
「昔はこうだった、なーんて言われてるけど、ほんとにそうだったらいいよね。」
くらいのノリかな。


それから、「友達のないやつはあっちいけ」的な内容がつづきますね。
(「はがない」のキャラたちはさようなら・・・。)
これは宗教というよりは、政治的な部分ですけど。
「オレらをいじめてるような、ブルジョアジーはあっちいけ!」
ということなんでしょうね。
なんせ、「神のもとには人類はみな平等」なはずなのに、
独り勝ちして、“兄弟”たちを見下して、みんなを困らせている…。
そんな奴らは、悪いけど「真実の友」なんて呼べるような仲間はいないだろ、
だから、神の前で平等に「兄弟よ!」と抱き合えない人は、どうぞあちらへサヨウナラ…
といった感じでしょうか。

仲間についてですが、まずは「友と呼べる者がひとりでも」
そして「優しい女性を手に入れた者」。
ここらは日常レベルで、ツレや彼女、もしくは親友と奥さんと理解してもいいでしょう。
ただし、10年ほど前のワタシメの意訳では
“自分の内に〈一人の友〉〈真の自己〉を見出した者”、
“自然の奥底に〈大いなる母〉〈優美なる女性〉を見出した者”
と、かなり精神的に価値を上げて解釈しておりました。
内面の問題として理解したんですね。青いなァ、でもいいけど。

あとに続くBrüsten der Natur“自然の乳房”とeinen Freund, geprüft im Tod〈死の試練を通った一人の友〉を踏まえているんですね。

日本では「自然」って、“nature”の訳語として明治以降に「無機的な人間を取り巻く環境」くらいのニュアンスで理解されちゃってますが、(それ以前は「じねん」と読んで、仏の世界のありのままの働きを指す言葉だった)
特にこの歌詞では、“〈古代からの大地母神としての自然〉の恩恵を、あたかも乳房から豊潤な乳を飲むかの如く受けている”といった文脈で語られているわけです。
(この大いなる“nature”というニュアンスは、明治期の日本にも紹介され、もっぱら「天然」と訳されました。サーカス小屋のBGM「美しき天然」という曲は、これを讃える歌です。歌詞はこちら)

そして、〈死の試練を通った一人の友〉とは、文句なくJesus Christ。ゴルゴダでの磔刑、死を経ての復活を果たされましたからね。
その前に出て来る“Reben”、昔持っていたドイツ語の辞書では「ブドウの木」しか意味が出て来なかったと思うのですが、最近調べたら「ワイン」でしたね。これもまた「キリストの血」を象徴する特別な飲み物。
「キスとワイン」なんて並べると陽気な宴会みたいだけど、
「キス」は“祝福”をあらわしますから(Küsseは複数形、つまり「たくさんのキス・祝福」)、それに続く「ワイン」も“私たちの罪に代わって流して下さったキリスト様の血”、そして“私たちを父なる神に引き合わせて下さる神の子、イエス・キリストも私たちには与えられている!”という光栄なる喜びがある、という文脈でしょうね。おそらくは。

その少し前の「善き者も悪しき者も、全ての者が通るイバラの道」とは、キリストの歩んだ受難の苦悩。修行の象徴だけど、さらに言うならば「原罪」というものを誰もが背負っている、ということを前提としてるかな。そしてそのイバラの道の向こうでキリストに出会える、ということ。

Wollust、恥ずかしくって10年前の意訳ではちょっと誤魔化しましたけど、
喜びのなかで一番低俗なものは、「Hなこと」として認識されてるんですねー。
これ、特にキリスト教圏では「卑しいもの」と認識されていましたね。
「快楽のために性行為をするのではない」みたいな。
ちなみに仏教の中の密教、『理趣経』では、「菩薩の清浄の位」と肯定されたりするんですよね。もちろん、取り扱いは大変難しいですが。
“虫けら”に対峙される存在として登場するのが、「大天使ケルビム」です。
「天使」って、フツーは可愛いちびっこ、ってイメージされるかもしれませんが、
この天使サマのお姿はエゲツナイです…。マッチョですらなく。
うーん、wikiによると、神のお姿を見ることが出来るのはこの天使以上みたいですから、
「神の前にぬかづく喜び」って、そういう意味なのかなあ。
昔は、「神の国=エデンの園の入り口を護衛することが栄誉なんだなあ」、なんて思っていたのですが…。

ここは音楽的にも面白い部分ですね。
反復される“und der Cherub steht vor Gott”という歌詞の、繰り返しの最後で“Gott!”と叫ぶ部分。ここで転調が起こり、荘厳なる神の世界が出現する、という演出がなされています。


続く、“Froh, wie seine Sonnen …”の部分は、何故か3拍子のワルツ調。ちょっと愉快な感じですが、
どうもこれは「トルコ風」ということらしいです。
当時、世界最強の軍隊は「トルコ軍」だったそうです。
そして、「トルコ軍の進軍の時の行進曲」が3拍子。ワルツと言うよりは、独特のマーチなんですね。
その「世界最強のトルコ軍のように、最強に力強く、喜びをもって突き進め!」というメッセージなんですね。
今の感覚とはずいぶん違いますが、当時の人々はすぐにわかったはず。

そして、恒星天のさらに上に至高天が存在する、そこに父なる神が必ずや、住み給う。
そうでなければならなかったんです。シラーにとっては。
いや、キリスト教徒にとっては、それこそが最重要命題であったはず。
神の存在証明」なんて議論が重ねられ続けたわけですから。
この「父なる神」の前では、万人が平等で、「兄弟よ」と呼び合う。これこそが、シラーが身分制度に反対する根拠だったのです。
2011_12
04
(Sun)06:50

『第九』「歓喜の歌」の、“喜び”ってなんだっけ!?

えー、さて『第九』の歌詞の解説でも始めましょうか。

まずは、ベートーヴェンがこさえた、最初の部分でっすが。

「おお、友よ!これらの音たちではない」

“これらの音たち”とは、
つまりは、この交響曲の第1、第2、第3楽章のことですね。

「歓喜の歌」は第4楽章で、このバリトンソロが入るまで、第1、第2、第3楽章が断片的に出てきますもんね。

第1楽章の“不安”、
第2楽章の“おべっか”、
第3楽章の“甘美なる忘却”。
どれも、今の私たちに本当に必要な態度なのではない!
(つまりは、ベートーヴェンの作曲の動機、当時の社会体制にたいする不満・批判なんですね。
フランス革命に成功はしたものの、いわゆるウィーン体制で反動的に保守の世で、自由な弁論などが規制されていたようです。)
そんな、ビクビクやおべんちゃらや現実逃避ではなくって、
真実に自由な、喜びに満ちた世界こそが望まれる!
そんな想いからたどり着いたメロディーこそが、あの「歓喜の歌」ってなワケです。

それにしても、
「美しい神の光、エリーズィウムからの乙女よ」って、
なんだかまわりくどい、というか、よくわかんない言い回しですよね?
いやんなったから、後ろから見ていきましょうか。

「天幕の彼方に、父なる神はましますに違いない」

Sternenzelt“星の蓋い”と言う言葉は、
天動説の宇宙観で、惑星の天、恒星の天の遥か彼方の、「至高天」という究極の天国のこと。

そこには、必ず父なる神がましまさなければならない。

またこれも
「だからなに?」
とピクピクきそうですが、
つまりは、
「いばった専制君主みたいないやな奴が上に立つのではなくって、
本当に偉い神様がおれたちの上にはいるんだ!」ってなこと。

ということは、つまりは
「エラそうにいばってる奴らだって、同じ人間じゃないか!
人間同士は平等なんだ!
だって、神様よりもエラくないだろ?だから、いばるなよ。みんなで、自由に楽しくやろうじゃないか。」
ということかな。

いきなり言っちゃったけど、
ここらがこの曲の真のメッセージ。

ここから考えるとですね、
冒頭の「喜び=美しい神の光=エリーズィウムからの乙女」という言い回しにも、
人間社会が階級でせちがらくなる前の「神話の時代、楽園の時代に戻ろうよ、みんな平等でさ!」
といったメッセージが透けて見えてきますね。

was die Mode streng geteilt;
“時の流れが強く引き裂いたものを”

このへんの部分はシラーの原詩をベートーヴェンがいじった部分ですが、
(シラー原詩:貧しき者らは王侯の兄弟となる→ベートーヴェン:すべての人々は兄弟となる)
これも抽象的に、わかりにくーくしてますが、本当は当時の政治批判ですね。
“神世から時代が下って、人間が勝手に身分の上下を作って人間同士を切り分けるようになった”、という。

少しづつ、見えてきましたね。
「喜び」って、「真の自由を得た喜び」なんです。
誰もが自由で、平等で、博愛に満ちた。
(←フランス革命の理念ですね。)

もう大事なところが言えちゃったんで、今日はおしまい。
また続きで、もう少し細かい部分の解説もしようかなー。
»
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