2012_09
14
(Fri)15:36

盂蘭盆経の、用語解説。〈修行編〉

でわ。盂蘭盆経を読むにあたっての解説を、ぼちぼち始めまひょか。

まずは用語の解説から。仏教用語って、数字がらみが多いんだよね。

最初は、木曽的、ちがった、基礎的な修行に関するおことばから。


「六神通」
目連尊者さまが得意だった、仏教的な超能力。
目連様は、人呼んで仏弟子のなかの“エスパー伊藤”!?(←怒られるゾッ)

えー、肝心の内容ですが、
まずは〈天眼通・てんげんつう〉。どこでも好きなとこが見れるやつ。いわゆる“千里眼”。
つぎに〈天耳通・てんにつう〉。あらゆるところの声が聞けるやつ。いわゆる“デビルイヤーは地獄耳”。
三ばんめ、〈他心通・たしんつう〉。他の人の心がわかるっちゅうやつ。“テレパパテレパパ、テレパシー”。
四つめ、〈宿命通・しゅくみょうつう〉。みんなの運命が見えるっちゅうやつ。占い師が持ってるらしい能力。
五つめ、〈神足通・じんそくつう〉。どこでも好きなところに行けるっちゅうやつ。“どこでもドア(←そっちかい!)”。
そんでラスト、六つめ。〈漏尽通・ろじんつう〉。漏れなくなるんです。(なにが!?)いや、「漏」が“煩悩”って意味なので、煩悩がなくなるってこと。これって、わかりにくい感じだけど、よく考えたら究極だよね。

目連様がお母様を探された〈道眼・どうげん〉っていうのは、この一番目、天眼通のこと。
だいたい、中学生男子が欲しいのは天眼通と神足通やろな。
でもネットって、けっこう天眼通なツールかも。

(ちなみに、現在のすべてを知る天眼通、自分の過去すべて、他の生き物の過去すべてを知る宿命通、苦しみの輪廻から脱け出す方法を悟る漏尽通の三つを、特に「三明・さんみょう」といいます。
これはお釈迦様が覚りに至る段階の最後に得られた能力なのです!)


すでに、濃度の高い解説でありんす。



さて修行編、お次は「四道果」。
これ、ワタシメもわかんなかったので、調べました。(『お盆のお経 盂蘭盆経講話』由木義文 仏教書林中山書房、参照)
お盆のお経―盂蘭盆経講話 (1983年)お盆のお経―盂蘭盆経講話 (1983年)
(1983/08)
由木 義文

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これによると、まず「四道=完全な悟りを開くに至る四つの道」というのがあってぇ。
1.加行道(けぎょうどう)・・・迷い(煩悩)を断じ、悟りに向かうための予備的な修行のプロセス
2.無間道(むけんどう)・・・迷いを直接的に断ずるプロセス
3.解脱道(げだつどう)・・・悟りを実現してゆくプロセス(真理を悟る)
4.勝進道(しょうしんどう) ・・・さらに勝れた修行をし、解脱の完成に向かうプロセス(悟りを完成させる)

だから、それぞれ「四道」の結果を得た方々、ということなのかな?
「四向四果」とは違うんかなぁ?
まあ、どちらにしても、段階的な悟りへの修行ってことなんでしょうね。


続く、「樹下に経行する」。経行とは、“座禅中の疲れや眠気を取るため、歩いて体を動かす所作”。禅宗では「きんひん」と読みますね。
ここらは、むしろ気功法の「歩行功」ではなかろうか、と。ゆっくり歩みながらの瞑想。
“樹下”って、インドでは日差しがきついでショ?ぼーっと、なーんも考えられないくらい暑いから、大きな樹の陰は、チョー有り難いらしいです。
現代日本で言うと、“ドライサウナに住んでいる人が、クーラーの効いた部屋でたまに考えごとする”くらいの快適さ、のはず。「樹下」一語も、読み流せませんなあ。


さてさて、お次は「十地」!
これは『華厳経』に説かれる教えで、菩薩が仏へと至る修行段階・五十二位のうち、最後の41~50の十段階のこと。(→こちらのリンク様に詳しく書かれています。)
ざっと書くと、
1.歓喜地(かんぎじ)
2.離垢地(りくじ)
3.発光地(はっこうじ)
4.焔慧地(えんねじ)
5.難勝地(なんしょうじ)
6.現前地(げんぜんじ)
7.遠行地(おんぎょうじ)
8.不動地(ふどうじ)
9.善慧地(ぜんねじ)
10.法雲地(ほううんじ)

中身の詳しい説明は、ワタシメのこっちのブログで。→『21世紀新訳・仏教経典(抄)  宇宙の仏-華厳経  ~菩薩の十段階 その2』
つまり、この『盂蘭盆経』で言われるところの菩薩とは、菩薩様たちの中でも、すんごい方々ばっかり、ということ!


うーん。修行に関する専門用語だけで疲れてしまった。
本日は、ここまでで、かんべん。
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2012_09
11
(Tue)06:32

『盂蘭盆経』、現代語訳。 その3(完結編!)

とりあえずは、本文をどうぞ。



目連様は御仏に再度申し上げます。

「私をお生み下さった父母は
衆僧方の威光に満ちた神通の力でもって
仏法僧の三宝の功徳にあずかり
救われることが出来ました。

私と同様に
“未来における全ての仏弟子たちのなかで親孝行をしたい者たち”は
まさにこの盂蘭盆(自恣の日の供養)を奉ることによって
彼らの父母や七代の父母までも
仏縁へと救い導くことは出来るのでしょうか?」


御仏は喜んでお答えになられます。

「なんとも良い質問ですね。
私はちょうど今
そのことについてお話しようと思っていたところなのですよ。

比丘(僧)であろうと
比丘尼(尼僧)であろうと
国王、皇太子、その他の王子たちから
大臣、宰相、三公、百官
また
万民・庶民まで

現在の父母
七代の父母のために親孝行をしたい者は

七月十五日、
この仏歓喜日・僧自恣の日に

百味の飲食物でもって
“くつろいでおられる十方の自恣僧たち”に施しをなさって
こう祈って頂くようにお願いをなさって下さい。

すなわち
“この施し主の現在の父母は
 病にかかることなく寿命百歳までとなり
 一切の苦しみや災難に会いませんように。

 七代の父母は
 餓鬼の苦しみを離れ
 人や天へと生まれ変わって
 極まりない福と楽とを授かりますように”
と。」


御仏は
一同に向かって、このようにおっしゃられました。

「我が仏弟子たちよ。
“孝順の想いを修めようとする者”は
一念一念
常に父母のことを思いなさい。
また
七代の父母に至るまで供養をなさって下さい。

それから
毎年七月十五日には
常に孝順の心、慈しみの心でもって
父母および七代の父母のことを思いながら
〈盂蘭盆の行事〉をなし
仏および僧たちに施しをなさって下さい。

このことによって
あなた方一人一人を
大きくなるまで慈しんでお育て下さった父母の御恩に報いることが出来るのです。

すべての仏弟子よ。
この教えを大事にお守り下さい」


御仏からこの話を伺って
目連比丘様と
すべての比丘、比丘尼、
優婆塞(うばそく・男性の在家信者)、優婆夷(うばい・女性の在家信者)たちは
歓び、喜んで去って行かれた
とのことです。


仏の説きたもう盂蘭盆経 終わる




これにて、完結!
これ、7世紀から今日に至るまで、日本の仏教徒が読み継いで来たお経なんだよね。

奈良時代の人も、平安時代の人も、つい江戸時代くらいまでの人も、
当たり前にこの内容を知っていて、
この内容をふまえてお盆の行事をしていたんですよ!!

そう思うと、なんかすごくないですか!?


(もうすこし、補足記事も書きますね。)
2012_09
10
(Mon)06:25

『盂蘭盆経』、現代語訳! その2

昨日の、つ・づ・き、でーす!(←頭、悪ィ感じだな…)



御仏は目連尊者にこう述べます。

「十方の衆僧たちは
七月十五日に雨季の間中の〈夏安居・げあんご〉を終え、
〈僧自恣・そうじし〉の時(修行僧ひとりひとりが、想い想いの振舞いをする日)を迎えます。

まさにこの日
“過去七代の父母および現在の父母の中の、苦しみを受けている者”のために
“百味の食事、五つの果物、水を満たした盆器、香油に燭台、敷物に座具など、出来得る限りのもてなし”でもって
〈十方の偉大な功徳ある衆僧たち〉を供養するのがよいでしょう。

この日こそが
「あらゆる聖者の集う日」であり、「あらゆる聖者に供養出来る日」なのです。

この聖者たちとは
たとえば
〈山に入って坐禅瞑想に打ち込んでいた者〉
〈「四つの道の果」という悟りを得た者〉
〈木の下で心を制しつつ歩む行を積んだ者〉
あるいは
〈六神通を自在に身につけることによって、出家者や求道者を導き続ける者〉
〈かりそめに出家僧の姿をとって人々の間におもむき皆の心を一つにまとめている、「十地」という悟りの境地に到った立派な菩薩〉などです。

彼らは
この〈自恣(盂蘭盆)の日〉の食事を受ける時も、清らかな戒めを保ち続けます。
皆、聖者の道にあるので
その徳は海のように溢れんばかりです。


これらの供養を受ける時も、彼ら自恣の僧たちは
施し主の現在の父母
過去七代の父母
六等親の親戚たちまでも
皆が三途の苦しみを抜け出て、素晴らしい悟りを得られるように願うのです。


現在存命中の父母ならば
幸福・楽しみが百年続くように

すでに亡くなっている父母のためには
思い通りの天国へと生まれ変わって
天の華の光に入り
はかり知れない快い楽しみが得られるように

願うのです」


こうお話になってから
御仏は
改めて十方の衆僧たちに対して勅命を発しました。

「どの僧であっても
施しを受ける時には
先ず
施し主の家の七代の父母のために
先ほどの通りの祈りを捧げるように。

そして
禅定に入った時の静けさでもって食事を受けるようにして下さい。

初めて盆を受ける時は(すなわち“初盆で新しい死者のいる家での施しならば”という意味か?)
まず仏塔の前にしっかりと座って(すなわち“その家の仏壇の前で”という意味か?)
衆僧たちは
先ほどの祈りを捧げてから食事を受けるようにして下さい」


このお言葉を聞いて
目連様も
この場に集まっていた大勢の菩薩様方も
皆大変お喜びになられたのでした。

目連様も
先程までの泣き声を
はたとお止めになっておられました。


この時
目連様のお母様も
このたった一日の功徳でもって
“一劫もの長い時間受け続けるはずだった苦しみ”から
脱け出すことが出来たのでした。
2012_09
09
(Sun)07:11

『盂蘭盆経』、現代語訳~! その1

さて、なんで今ごろ?感のある、盂蘭盆経の現代語訳でーす!
一応、この夏に約束しましたからね。
「気が向いたら、訳します」って。

まあ、そんなにムヅカシイ漢文でもないんで、
訳もそんなにややこやしくありませんね。
一回では長ーくなるので、何回かに分けてご紹介してから、
少し説明的な記事でも書きましょうか。
ワタシメの基本方針として、極力専門用語を使わないようにしておりますので、
そんなにつまづかずに読めるかとは思いますが、
「これ、ゆうといた方がええなあ」
という部分も、若干箇所、ありますんで…。

とりあえず、冒頭のいいところまで。

質問ある人、コメントにどうぞ!



仏の説きたもう盂蘭盆経

私はこのように聞いております。
御仏が舎衛国の祇園精舎に留まっておられた時、
(釈迦十大弟子の筆頭として、神通第一と讃えられる)大目乾連様が初めて六神通を得られた時のお話です。

目連様は、六神通を得て
まっ先にご自身を養育して下さった父母の御恩のことを思い、亡きお母様が今どうしておられるのかを探されました。
その道眼でもってあらゆる世界を広く見渡しましたところ、お母様はなんと餓鬼道におられるではありませんか!

餓鬼に生まれ変わったお母様は
食べ物も飲み物もみつけられず、骨と皮ばかりになっておられます。
目連様は嘆き悲しんで、お椀にご飯を盛るや否や、
神通力でもってお母様のところへ駆けつけ、その食事を差し出したのでした。

お母様は左手でお椀を受け、右手でご飯をつかみます。

ところが
それを口に運び入れる前に、そのご飯は火と燃え上がり、炭となってしまうのでした。
もちろん、食べることも叶わないのです。

目連様は大声で泣き続けながら
大急ぎで御仏のところへと馳せ参じ、事の次第をつぶさに申し上げます。


御仏は目連尊者に述べられます。

「あなたの母は罪の根が深いところで結ばれてしまったのです。
もはや、あなた一人の力ではどうしようもありません。
あなたがいかに親孝行で
その素直な声で天地を動かせたとしても、
あなたの母のことは
天の神であっても、
地の神であっても、
悪魔・魔神たちであっても、
外道の道士たちであっても、
仏法守護の四天王神たちであってさえも、
どうすることもできないのです。

ただ唯一
十方の衆僧たちの威光ある神通力を集めることによってのみ、
あなたの母は苦しみから解き放たれるでしょう。

私は今からあなたのために
〈餓鬼道からの救済の方法〉を説き示しましょう。
これによってのみ
憂い苦しみから解き放たれ、罪の障りを消し去ることが出来るのです」
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