2012_10
17
(Wed)06:48

法然上人のご法語、一部公開!第二十二章「登山状」朝(あした)にひらくる栄花は

さあ、これで『登山状』のご紹介はおしまい。
法然上人のご法語、全31章分の原稿はすでにあるのですが、誰か出版してくれませんかね。

とりあえず、ラストです!



〇第22章  閻魔法王の問い

 それ、“朝(あした)にひらくる栄花(えいが)”は“夕べの風”に散りやすく、“夕べに結ぶ命露(めいろ)”は、“朝(あした)の日”に消えやすし。これを知らずして“つねに栄えん事”を思い、これを覚らずして“久しくあらん事”を思う。
しかる間、“〈無常〉の風”ひとたび吹きて、“〈有為(うい)〉の露(つゆ)”永く消えぬれば、これを曠野(こうや)にすて、これを遠き山におくる。屍(かばね)はついに苔の下にうずもれ、たましいは独り旅の空に迷う。妻子眷属は家にあれどもともなわず、七珍万宝(しっちんまんぼう)は蔵に満てれども益(えき)もなし。ただ身にしたがうものは“後悔の涙”なり。
ついに〈閻魔の庁〉にいたりぬれば、「罪の浅深(せんじん)」をさだめ、「業の軽重(きょうじゅう)」をかんがえらる。〈法王〉、罪人に問うていわく、「なんじ、〈仏法流布の世〉に生まれて、何ぞ修行せずしていたずらに帰り来たるや」と。その時には、われらいかが答えんとする。
すみやかに〈出要(しゅつよう)〉を求めて、むなしく〈三途〉にかえることなかれ。
『勅伝 第三十二巻』「登山状」より

 
そう、“朝に開いた栄華の花”も“夕べの風”には散りやすいもの。“夕べにひっそりと結んだ命の露”も、“昇り始めた朝日”のもとに消えやすいもの。
この理(ことわり)を知ろうともしないで「いつまでも栄えていたい」と望み、この理に目覚めずして「いつまでも命があるだろう」などと思い込むのだ。
そうこうするうちに、全てを滅ぼしてゆく“無常の風”がひとたび吹けば、〈憂いながら生きてきた命〉も永遠にこの世より消えてしまい、あとの我が身は“荒野”へと捨てられ、或いは“野辺の山”で焼かれることとなる。
屍はやがて“苔の下”に埋もれてゆき、魂が一人ぼっちで“冥途への旅の空”にさ迷うのだ。
妻も子も、手下たちも、家に大勢いたとしても連れて行くことは出来ない。貴重な宝の数々が蔵を満たしていても、それが何の役に立とうか。
ただ、我が身に従うものは「後悔の涙」ばかりなのだ。
そして死後、〈閻魔法王〉のもとにたどり着いた時には、〈己が罪の深さ浅さ〉を定められ、〈悪業の重さ軽さ〉を判断される。
〈閻魔法王〉は罪人たちにこう問いかけなさるだろう。
「おまえは幸いにして〈尊い仏法が広まる人の世〉に生まれたというのに、どうして何の修行もすることなしに、無意味に帰って来たのだ!」と。
その時に、我々は何と答えればよいのか。
速やかに〈輪廻を抜け出る道たる仏法〉を求めて、虚しく〈三途〉へと帰っていってはならない。


【解説】
「それ、あしたに開くる…」なんとも感動的な名文からはじまります。いきなりクライマックス!いや、もちろん第21章からのつながりで、こうなんですけど。この場合、「あした」って明日じゃないですよ!「朝」のこと。「ゆふべ」と対になってるんですね。
この時代、“夕べの風に散ってしまう栄華”とは、誰もが「平家一門の盛衰」を意識したことでしょう。“夕べに結ぶ命露”とは、その「栄華の上で踊り、散っていった数知れぬ者どもの命」…。これらの“国を挙げてのお祭り騒ぎの顛末”を眺めて、〈無常の想い〉にかられぬ者などなかったことでしょう。それをさらに推し進めるならば、「明日は我が身」。いつ、どうなるとも知れず、さりとてどうすることも出来ず…。このように、“己の死”を突きつけられた時に、何が役に立つというのでしょうか。“この世で貯めこんだ財産”も、“自分に仕えてくれた妻子、眷属”も、決して連れては行けない。“この世の栄華すべて”を剥ぎ取られた時に、果たして私に何が残るというのだろう?自省は深まってゆきます。そして極まるところは
「一生涯を無駄に過ごしてしまったのではないか。」
「閻魔さま」と言えば、今でこそ“子供に言うことを聞かせる時の方便(そしてそれすらも、もはや語り継がれない)”に過ぎなくなってしまっていますが、当時はこの信仰が喧伝され始めたばかり。〈死後の世界についての、最新のイメージ〉。〈唐から伝来し、新たにわかってきた恐ろしい裁きの実態〉。まさに、“人を踏みにじって生きて来た私たちの、最期の帳尻合わせの時”なのです。
その〈裁きの庭〉でこう聞かれる、というのです。
「〈仏法〉によって、お前たちの〈苦しみの世〉は解き明かされた。それから〈抜け出る道〉も示されていた。というのに、どうしてのこのことここにいるのだ!?せっかく人として生まれたというのに、何をしておったのだ!!」
雷おやじどころではありません。心臓バックンバックン、全身ビリビリ。ああ、どうしよう…。バカバカ、俺のバカ…。
「なーんて言われたら、どうする?」
はっ!そうか、俺、まだ死んでなかったんだ。よし、閻魔さまの前でちゃんと答えられるように、さっそく仏法におすがりしよう!
というのが、この段の顛末です。あ、もちろん〈仏法〉って、〈称名念仏〉のことですよ。このバヤイ。


栄花・えいが  栄華。社会的な地位が高くなり、栄えて時めいている様。
命露・めいろ  露のように消えてしまうはかない命。
無常の風・むじょうのかぜ  〈無常〉は仏教の真理で、「すべては留まることなく移ろいゆくということ」。この場合、“無常の風”とは“いやおうなく人を〈死〉へと運んでしまう風”といった意味合い。“冷厳な〈無常〉という真理”を、“風”に喩えている。
有為の露・ういのつゆ  〈有為〉は仏教の専門用語で、“因縁が縁り合わさって、形作られているもの=目に見える、ありとあらゆる存在(厳密には、私たちが存在していると思い込んでいるもの)”を指す。この場合、“有為の露”とは“たまたま縁り合わさって在る、私の命の露”つまり、“自らの存在、命”のこと。
曠野・こうや  何もなく広々とした野原。空虚さを象徴している。
遠き山・とおきやま  当時は人が死ぬと、“普段の生活の外”である村はずれの荒地や、遠く離れた山へと亡骸を葬った。京都の場合は化野(あだしの)や鳥辺山(とりべやま)など。
屍・かばね  死体のこと。
たましい  死ぬことで、肉体から離れてしまう人間存在の核心部。陰陽思想によれば、人のたましいは、さらに〈魂〉と〈魄〉に分かれ、“陽のたましい〈魂〉”は天へと昇り、“陰のたましい〈魄〉”は地へと散っていく、と考えられた。ここでの「たましい」とは前者の〈魂〉を指しているように思われる。
七珍万宝・しっちんまんぼう  「珍」という漢字には“めずらしく美しい宝”という意味がある。“七つの宝、万の宝”という意味。
閻魔の庁・えんまのちょう  閻魔大王の法廷。“死後、自らの罪が裁かれる場所”という。
法王・ほうおう  閻魔大王のこと。閻魔法王。仏典によれば、「閻魔Yama」とは人類の最初の死者で、後から続く死者たちと“平和な死者の国”を築いていたが、やがて“悪人の死者”によりその平和が乱され始めて、以降、〈死者の善人悪人の選別をする立場〉となった、という。“死者の罪の記された〈閻魔帳〉”を持ち、罪人の生前の悪業は〈浄玻璃の鏡〉に写し出され、六道のどこに行くかの裁きがなされるという。中国の裁判長のいでたちで、恐ろしい顔をして描かれる。 面白いのが、“裁きの庭”はすでに〈地獄〉に近い“地中”にあるが、もともとの“死者の楽園”、「夜摩天」という天国は、須弥山の上空に、別の世界として存在していること。
出要・しゅつよう  “出世間のための肝要”つまりは、“苦しみの輪廻から抜け出るための、肝心かなめとなること=〈仏法〉”のこと。

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2012_10
16
(Tue)06:35

法然上人のご法語、一部公開!第二十一章「登山状」金谷の花

さあ、昨日の続き!記事を貼り付けるだけだから、ラクでええなあ。


〇第21章  無常の日々

 あるいは“金谷(きんこく)の花をもてあそびて”遅々(ちち)たる春の日を虚しく暮らし、あるいは“南楼(なんろう)に月をあざけりて”漫々(まんまん)たる秋の夜をいたづらに明かす。
あるいは“千里の雲にはせて”山のかせぎをとりて歳をおくり、あるいは“万里の波に浮かびて”海のいろくずをとりて日を重ね、あるいは“厳寒(げんかん)に氷をしのぎて”世路(せろ)を渡り、あるいは“炎天(えんでん)に汗を拭(のご)いて”利養(りよう)を求め、あるいは妻子眷属に纏(まと)われて〈恩愛の絆〉、切り難し。あるいは執敵怨類(しゅうてきおんるい)に会いて〈瞋恚(しんに)の炎(ほむら)〉、やむことなし。
総じて、かくのごとくして、昼夜朝暮(ちゅうやちょうぼ)、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、時としてやむことなし。ただほしきままに、飽くまで〈三途八難(さんずはちなん)の業(ごう)〉を重ぬ。
しかれば或る文には、「一人一日(いちにんいちにち)の中(うち)に八億四千の念あり。念々の中(なか)の所作、皆是れ〈三途(さんず)の業〉」と云えり。
かくのごとくして、昨日もいたずらに暮れぬ。今日もまた、むなしく明けぬ。いま幾たびか暮らし、幾たびか明かさんとする。
『勅伝 第三十二巻』「登山状」より

 
或いは“金の谷に花を弄んで”遅々として流れる春の日々を虚しく暮らし、或いは“南の楼(たかどの)に昇り、月を見て”はしゃぎ、とりとめもなく続く秋の夜をいたずらに明かしゆく。
或いは“千里の空をたなびく雲を追いかけて”山の菜を摘み、獲物を狩って年を送り、或いは“万里の海に立つ波間に浮かんで”魚たちを捕って日々を重ね、或いは“寒さ厳しい折、氷に震えながら”世間の義理を果たし、或いは“炎天下に汗を拭いながら”己の利益を求め、
或いは妻子や手下に縛られて〈情愛の絆〉は切り難く、或いは怨み敵(がたき)に遭えば〈怒りの炎〉のとどまることもない。
総じて言うなら、このように「昼夜、朝夕、行くも留まるも、座すも臥すも、片時も止むことなく、ただ煩悩の欲するまま」に振舞っている。己が飽きるまで、〈地獄・餓鬼・畜生の苦しみ〉に沈み、〈仏道から顔を背けた楽しみ〉に耽り、〈浅はかな知恵〉を振りかざしていい気になり、あげくは〈仏縁を結べない時〉を生きることとなる。
ある経文にもこうある。「“一人の一日の心の内”には、八億四千の念がある。この一念一念の振舞い全てが〈三悪道の苦しみ〉より生まれる」と。
このようにして“昨日”もいたずらに暮れてしまった。そして“今日”もまた虚しく明けようとしている。
今は幾たびの日暮れだろうか。幾たびの夜明けだろうか。


【解説】
美文麗文の限りを尽くした『登山状』の第二段ですね。これは第1章からの続きで、次の第22章はこの第21章の続き。つまり、“3つの章”はつながった文章なんですね。
「金谷」とは、昔中国の洛陽にあった谷の名前で、詩と酒の盛大な宴が行われた場所。晋の石崇の別荘、金谷園のこと。「南楼」とは晋の庚亮(ゆりょう)が殷浩らと月を眺めながら語り合い、詩を作った楼(たかどの)のこと。共に“浮世の虚しい楽しみ”を象徴しているのですが、中国的な華やかさで、何とも雅やかですよね。
「千里の雲に~」からは私たちも身につまされる、“日暮らしのためにあくせく苦労を重ねる様”です。
続いて〈四苦八苦〉のうちの〈愛別離苦〉、〈怨憎会苦〉なのですが、特に前者の方はそう簡単ではありません。“憎いやつに会って怒りの炎が燃え盛る”。これはいいとして、「妻子眷属にまとわれて」“まとわれる”この言葉には、一種の嫌悪感が漂っています。アメリカン・ホームドラマの「家族の絆がいちばん」どころではない価値観ですよね。「恩愛のきずな切り難し」これも、“恩愛とは断ち切るべきもの”という前提より発せられる言葉です。狭い意味では、「筆者が聖覚という僧侶で、なおかつ手紙の送り先も比叡山の僧侶たちで、“出家”自体が世俗を捨てることを建て前としている」ため。(しかし、聖覚・澄憲の親子二代(!)の僧は、二人とも子だくさんでした。)
さらに広義では、「〈六道輪廻を続けるこの娑婆の世〉を捨てること」も含めているのでしょう。頭では、理解してるんだけど…。♪あ、わかっちゃいるけど、やめられない!境地やね。
こうして日々夜々、“いてもたってもいられない”、違った、居ても立っても何してる時でも「三途八難」から逃れられない私たちなのでした。ちゃんちゃん♪
もちろん、こんな軽いノリなのではなく、よく考えると“一瞬一瞬が〈煩悩〉まみれで〈業〉を生み出し、塗り重ねている我が身”。そこに、“一日八億四千の妄念がある”、と告げられて、精神的にノックアウト!しそうなくらいの現実を突きつけられるワケです。
一日にして、かくのごとし。“昨日”はいつの間にかムダに終わってしまった。そして“今日”も、たぶんむなしく終わっちゃうんだろうなァ…。どーする!?どーする!?で、つづく。

金谷の花・きんこくのはな  “金谷”とは「金谷園(晋の石崇・せきすうの別荘))のこと。そこで“酒宴を催し客に詩を作らせ、作れない客に罰として酒を三杯飲ませた”という故事が伝わる。“金谷の花”とは、その華やかさをいう。
南楼の月・なんろうのつき  晋の庚亮(ゆりょう) (289—340)は名門貴族出身の政治家。美貌と威厳を備え、清談を得意とした。庚亮が或る秋の夜、武昌の地を征西将軍として治めていた庚亮は、その地にある「南楼」の上で手下の幕僚・殷浩(?-356)たちが興じていた“月の宴”に立ち寄った。驚いた臣下たちが引き下がろうとするところを留め、すぐさま腰を掛けて談笑や吟詠をして、楽しく一夜を過ごしたという。『晋書』「庚亮伝」に記されている。
山のかせぎ・やまのかせぎ  薪を拾って売る、木を伐り炭を作って売る、山菜や薬草を採って生活する、鹿や鳥、猪などを狩って生活することなど。
海のいろくず・うみのいろくず  “いろくず”は“いろこ・うろこ”。つまり、“うろこのある生き物=魚”のこと。“海の魚たち”を捕って生計を立てること。
世路・せろ  “世の路(みち)”。世を渡り、生活をしてゆくための道。
利養・りよう “利得をえて、自らを養う”。お金を稼いで、生活の糧を得ること。
恩愛・おんない  “心内に想う親愛の情”。ここでは、輪廻から抜け出ることの出来ない原因として、否定的に捉えている。
執敵怨類・しゅうてきおんるい  “怨みがあって、自分が敵(かたき)だと思っている連中”。
瞋恚の炎・しんにのほむら  「瞋」は“目を見開いて怒ること”。「恚」は“怨み怒る、もだえ怒ること”。怒りたかぶって、体感が熱くなった状態。
三途八難・さんずはちなん  “〈仏法〉に出会う機会のない境地”の総称。〈三途〉とは、“熱苦をうける〈火途〉”、“刀・剣・杖などで強迫される〈刀途〉”、“互いに相食む〈血途〉”の三つで、それぞれを〈地獄〉・〈餓鬼〉・〈畜生〉の〈三悪道〉に当てはめる。これらの世界の者たちは、“苦しみのあまり仏の声を聴くことが出来ない”という。 〈八難〉は、前述の〈三悪道〉に加え、4〈長寿天―あまりに長寿の神として生まれること〉・5〈辺地(へんじ)―仏法の届かない辺境の地〉・6〈盲聾瘖瘂(もうろういんあ)―眼や耳、声が不自由な境遇。肉体的な特徴に限らず、精神的に仏法に興味の向かない状態も該当しよう〉・7〈世智弁聡―世の中のことにだけ長けている場合〉・8〈仏前仏後―釈迦仏誕生以前と、末法が過ぎて法滅となった時代〉。三途ほどではないが、それぞれの境遇によって仏法に耳を傾けることが出来ない、という。

2012_10
15
(Mon)06:16

法然上人のご法語、一部公開!第一章「登山状」

動画を見てたら、昔、ワタシメが大学時代の合唱団で演奏した仏教賛歌「登山状・抄(とざんじょうしょう)」がアップされてるじゃないか!


だれかが投稿してくれたんやな・・・。


久々に聞いて、思うところは色々あるけど、めんどくさいから書きません。(←なんやそれ!)

まあ、それよりも、
あの頃は、なあんもわかってへんかったなァ・・・
という感慨が深いワケでして、
そんな自分への未来からのメッセージっちゅうわけで(←だからなんやそれ!)

書きためてある『法然上人のご法語』の中から、「登山状」に関する部分を抜粋して公開しちゃおうかな、と。
(全文・31章ありますが、出版のメドが立っていません。出版社の方、もしくはスポンサーとなって下さる方、募集中!)

はっ!!今、なんか営業活動してたような・・・?
ま、ええか。ほないきます。

今日は、とりあえず第一章。
原文と現代語訳、そしてワタシメによる本文の解説と、原文のなかの専門用語の解説が続きます。書籍化されるんなら、一目で注も見やすくしたいんですけどね。。


○第1章  流浪三界

 それ〈流浪三界(るろうさんがい)〉のうち、いづれの境(さかい)におもむきてか〈釈尊の出世〉に逢わざりし。
〈輪廻四生(りんねししょう)〉の間、いづれの生(しょう)を受けてか〈如来の説法〉を聴かざりし。
〈華厳開講(けごんかいこう)のむしろ〉にもまじわらず、〈般若演説(はんにゃえんぜつ)の座〉にもつらならず、〈鷲峰説法(じゅぶせっぽう)の庭〉にものぞまず、〈鶴林涅槃(かくりんねはん)のみぎり〉にもいたらず。
われ、〈舎衛(しゃえ)の三億(さんのく)の家〉にや宿りけん。知らず、〈地獄八熱の底〉にや住みけん。
恥ずべし恥ずべし、悲しむべし悲しむべし。
 まさに今、〈多生広劫(たしょうこうごう)を経ても生まれがたき人界〉に生まれ、〈無量億劫(むりょうおっこう)を送りても逢いがたき仏教〉に逢えり。
〈釈尊の在世に逢わざること〉は悲しみなりといえども、〈教法流布の世に逢うこと〉を得たるは、これよろこびなり。
たとえば“盲いたる亀の、浮き木の穴に逢える”がごとし。
 我が朝に仏法の流布せし事も〈欽明(きんめい)天皇、天の下をしろしめて十三年、壬(みずのえ)申の年冬十月一日〉、はじめて仏法わたり給いし。
それよりさきには〈如来の教法〉も流布せざりしかば、〈菩提の覚路〉いまだ聞かず。
ここに我らいかなる宿縁にこたえ、いかなる善業によりてか、〈仏法流布の時〉に生まれて、〈生死解脱の道〉を聞くことを得たる。
しかるを今、逢いがたくして逢うことを得たり。
いたずらに明かし、暮らして止みなんこそ悲しけれ。
『法然上人勅修御伝(ほうねんしょうにんちょくしゅごでん)(以下略して勅伝(ちょくでん)、別称四十八巻伝) 第三十二巻』「登山状」より


さても我々は、〈苦しみの世界・三界〉を流され、さ迷いつつも、いずれの境涯にいたのであろう、〈釈尊のご誕生〉にはお会い出来なかった。〈繰り返しの生き死に〉の中での、どの生まれの命であったのか、〈如来の説法〉を聴けなかった。
〈釈尊が覚りの後、初めて開いた華厳の法会〉にも参加せず、〈空と智慧の真髄たる般若についての演説〉にも座を連ねず、〈名高い鷲峰山上での数々の説法〉の場にも行き逢わず、〈鶴のように美しく枯れゆく沙羅双樹の下で語られた最期の涅槃〉の床にも間に合わなかった。
私は〈舎衛国九億人のうち、釈尊の名すら知らなかったという三億の家〉に生まれていたのだろうか?今となっては知る由もないが、〈八熱地獄の底〉に住んでいたのだろうか?
恥ずかしいことだ、恥ずかしいことだ。悲しいことだ、悲しいことだ。
しかし、まさに今、〈多くの生まれ変わり、広大な時を経ても生まれることの難しい人間〉として生まれ、〈量り知れないほど果てしもない時を過ごしたとしても出会うことの難しい仏のみ教え〉に出会えたのだ!
釈尊のご在世の時に出会えなかったのは悲しみであるとは言え、〈仏のみ教えの法が流布する世の中〉に生まれたことは、これこそまさに喜びである。
譬えるなら、“海の底にいる目の見えない亀が、空気を求めて水面へと浮かび上がろうとするも、運悪くたまたまそこに流木が浮いている。ところが不幸中の幸い、ちょうどその木の節穴に頭が入り、木で頭を打つこともなく、願っていた呼吸をすることが出来た、というあり得ない奇跡のような喜び”―それ程のことなのだ。
我らが日本に仏法が広まっているのも、その始まりは〈欽明天皇の治世十三年目の冬、十月一日〉のこと。この日、初めて仏法が渡って来たのだ。これより以前は如来の教法も流布していなかったので、〈菩提へと目覚める道〉も、誰も知らなかったのだ。
ここに、我らはいかなる宿縁に報われたのだろう、いかなる善業を積んで来たのだろうか。この仏法流布の時に生まれ、〈苦しみの生き死にから抜け出すための道〉を聞くことを得た。そう、会い難くして会うことが出来たのだ。
それをいたずらに日々を暮らし、明かそうとしている。これをやめられないことこそが、なんとも悲しいことではないか。


【解説】
のっけから、「法然上人のご法語」と言っておきながら申し訳ないのですが、これは法然上人直々のご法語ではありません。弟子のひとり、「安居院(あぐい)の聖覚法印(せいかくほういん) 」の書き記した名文『登山状』の冒頭部分なのです。
この書がどういう経緯で書かれたのかを少しお話しましょう。
法然上人は天台宗の僧侶です。幅広く天台の教え、それにとどまらずあらゆる仏教を学ばれました。その智慧者である上人が、誰でもが救われる教えを―優秀な僧侶だけでなく、身分を越え、財産の有無はもちろん、その当時いやしいとされていた女性、また「悟りを求めよう」などとも思えない人々までもが救われる教え―これを、ついにみつけたのです。それが〈称名念仏〉。ただ「南無阿弥陀仏」と称えることだけなのです。
この教えは、当時混迷を極めた世に燎原の火の如くに広まりました。救いを求めても得られない、そう諦めていた人々の渇きを癒し、大いなる喜びを与えたのです。しかし、その「火」は少々、激しく燃え過ぎました。比叡山・天台宗の高僧方や、南都・奈良の学僧たちの反感を買ってしまうのです。
「あの法然とかいうやつと、その弟子たちはなんだ!あんなものは、仏教でもなんでもないぞ!」
偉いお坊様たちは、朝廷に抗議文を書き連ねて生まれたての「浄土宗」を弾圧しようとします。
そんな中で、法然上人はみずからの学び舎である比叡山の高僧方に対して、手紙を差し上げるのです。
「立場は少々違うようですが、私の主張も、まぎれもなく釈迦牟尼世尊のお諭しです。同じ仏教なのです。皆様と同様、この苦しみの世からの解脱を求めているのです。」
この想いを伝えるために、当代きっての名筆家といわれる弟子、聖覚に筆をしたためさせたのです。その手紙の名前が『登山状』。「比叡山を登って差し上げる手紙」です。(ちなみに、聖覚は、その父・澄憲と親子二代で説教の名人とも言われました。お父さんの澄憲は「浪花節の元祖」とも言われます。)
この『法然上人のご法語』のなかには、『登山状』が三章、含まれています。この第1章と、第21章、第22章です。これらはもともとつながっていて、どれも声に出して読めばまことに調子もよく、情にも切々と訴える名文です。本当は『登山状』そのものはもっと長文なのですが、中盤以降の論理的な仏教教理の部分は、この『ご法語』には含まれていません。機会があれば是非ご一読いただければ、と思います。伝統的な仏教の宗派の立場も損ねることもなく、なおかつ浄土宗の立場もきちんと主張して、情にも訴えながら説得しようとする名文です。

さて、この本文に説かれていることですが、大きく二つ。
「釈迦仏に生きて会えなかった悲しみ」と「仏教の広まっている世の中に生まれた喜び」。
この当時の世相は、大変すさんだものでした。平家という絶対的に見えた為政者一族の没落と武装した無法者たちの台頭(後の武士)。京を焼き尽くす大火。度重なる飢饉。疫病。大震災。まさに、経論に記されている「末法の時代」が始まったと考えられたのでした。
「末法」―すなわち、釈迦仏のように正しい悟りを開く者もなく(正法)、釈迦仏の正しい修行も絶えてしまった時代(像法)―。誰もが、その取り返しのつかない時の流れを嘆いたのです。そして多くの真面目な僧侶たちが、「お釈迦様への激しい追慕の情」に身を焦がしたのです。それらの自覚が、このご法語にも「釈迦仏に生きて会えなかった悲しみ」として表出されています。そしてさらに、“我が浄土宗”の意義を主張するために持ち出されたのが「仏教の広まっている世の中に生まれた喜び」。いや、このような下心があるかのような言い方はやめましょう。むしろ、「末法」の世でありながら、なお「人として世に生まれ、仏法に出会えた喜び」というものは途方もないもの。「末法に生きる我々でも、やはり救われるのだ」とお示しいただけた、〈『南無阿弥陀仏』の教え〉。このことに気付かせようとするのが、この第一章の真骨頂なのです。

流浪・るろう  波に流されること。さ迷うこと。
三界・さんがい  あらゆる迷いの生き物の住まう三つの世界。〈欲を持つ生き物の住む欲界〉と、〈欲はなく、形を有する神々の住まう色界〉、〈欲も姿もない神々の住まう無色界〉の三つ。六道のうち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間と、第六天魔王までの神々は、すべて欲界に収まる。
輪廻・りんね  生き物が死後、別の命として生まれ変わることを繰り返すこと。インドでは六道を永遠に繰り返すと考え、それらはすべて苦しみであると捉えた。輪廻の苦しみの輪から抜け出すことこそが宗教の目的とされた。
四生・ししょう  生き物を生まれ方によって四つに分ける。「卵から生まれるもの」「母体から生まれるもの」。生物学的に言うと「卵生・胎生」。これに加えて「湿り気の中から生まれるもの(湿生)」「変化(へんげ)して生まれるもの(化生)」。「湿生」は虫など、と言われるが、「化生」が「業によって突然生まれる=神」とされるところから考えるならば、むしろ「ネガティブな業(=湿性)から生まれる悪魔や鬼」とも理解できる。
華厳・けごん  この〈華厳〉から〈涅槃〉までは、天台宗が考えた釈迦仏の説法の順番に沿っている。〈華厳〉とは『華厳経』のことで「釈尊が覚りを開かれてから初めて語り出した説法で、覚りの世界のありのままの姿が説かれているために、難解で理解できる者がほとんどいなかった」と言われる。これに引き続いて、説法を聴く者にあわせて身近なたとえを取り入れた〈阿含〉が説かれる。
般若・はんにゃ  〈般若〉とは『般若経典』で、全六百巻もある膨大な教え。「あらゆる仏が覚りを得るために目覚めた智慧」こそが〈般若〉で、それはなにものにもとらわれない〈空〉をその性質としている。言葉を超えた世界の智慧を、言葉を尽くして語る経典群。
鷲峰・じゅぶ  釈尊が主要な経典を説法した場所・グリドラ・クータ(鷲峰山。山頂に鷲の形をした岩がそびえる)のこと。当時の大国・マガダ国の王都(舎衛城)の近くにある。ここで説かれた経典に『無量寿経』『法華経』などがある。
涅槃・ねはん  釈迦仏がこの世を去り、完全なる涅槃界に入られること。入滅。クシナガラの沙羅双樹の下で横たわり、弟子たちに最期の説法をなされたという。その様子を記した経典が『涅槃経』。
舎衛・しゃえ  マガダ国の王都・舎衛城のこと。国王・ビンビサーラ王が釈尊に帰依したため、仏教の一大外護国となったが、その人口の三分の一、三億人(三十万人を指すとの説も)は釈尊のことをまったく知らなかったという。
地獄八熱・じごくはちねつ  仏教における地獄は様々な種類があるが、その代表格が、この「八熱地獄」。等活→黒縄→衆合→叫喚→大叫喚→焦熱→大焦熱→無間と、燃え盛る炎も与えられる苦しみも増してゆく。また、この順番に、地下へ地下へと堕ちて行く。
欽明天皇・きんめいてんのう  第29代天皇 (509-571、在位は539-571) 。この天皇の在世当時、公式に百済王より仏教が伝えられる。「金銅の仏像、幡蓋、経巻若干」が贈られたという。
壬申・みずのえさる  『日本書紀』によると、欽明天皇の「壬申」の年に仏教が伝来されたという。西暦では552年。“壬申”は「干支・かんし」のひとつで、〈五行(木・火・土・金・水)の陰陽(兄え弟と)〉と〈十二支〉との組み合わせで、六十通りある。つまり、同じ「干支」は60年に一度しか来ないため、元号と干支の組み合わせのみの表記で特定の年を言い表すのが昔の慣例だった。
菩提の覚路・ぼだいのかくろ  覚りへと至る道。すなわち、「仏教」。
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