2012_11
05
(Mon)06:18

絵本『極楽』の、楽譜について!

先日、風濤社に、絵本『極楽』の楽譜についての問い合わせがありました。
その方に対して差し上げた手紙ですが、
これって、他の皆さんにも参考になるかな?と思って、記事にアップしておきます。



絵本『極楽』の“楽譜”とは、仏教音楽の「声明(しょうみょう)」です。
特に、これは真言宗で用いられる声明のうち、
「阿弥陀讃(あみだのさん)」というものです。

歌詞と訳を記します。

「稽首天人所恭敬けいしゅてんにんしょくぎょう (神々も人々も頭を垂れて恭しく敬うところの)
 阿弥陀仙両足尊あみだせんりょうそくそん   (偉大なる阿弥陀如来よ)
 無量仏子衆囲繞むりょうぶっししゅいにょう  (はかり知れないほどの数の仏弟子たちに取り囲まれて)
 在彼微妙安楽国ざいひみみょうあんらっこく  (かのかすかに妙なる“安らかな楽しみに満たされた国(=極楽)にまします)」


もう少し詳しく解説します。
・“稽首”とは、頭を地にこすりつけて礼拝すること。
・“天人”とは、六道輪廻中、地獄・餓鬼・畜生(・修羅)をのぞいて極楽へと往生することが許されている“天(神々)”と“人(人間)”のこと。
ここでは、「人間だけでなく、あらゆる神々も額ずいて敬うところの―阿弥陀如来よ」と理解すればよいのでしょう。
ちなみに、人も神も極楽に往生した時点で、誰もが美しく金色に輝く姿となるそうで、根本的な区別はなくなるそうです。
ただ、「前世は天だった」「前世は人だった」という仮の区別で“天”“人”と呼ばれる、と経典に書かれております。
・“恭敬”は、恭しく敬うこと。仏典によく出てくる定型句です。
・“阿弥陀仙”の“仙”は、おそらく古代インドで偉大な霊的指導者を意味する“大仙(リシ)”を指していると思われます。
平たく言えば、“阿弥陀仏”。ちょっと古めかしい言い回し、といったところでしょうか。
・“両足尊”は、「二本足で立つ生き物(=人間)のなかで最も尊い存在」つまり、“仏陀”です。
“仏陀”とは、私たち人間の仲間であり、その 究極の完成形である、ということが示されている、素晴らしい尊称だと思います。
・“仏子”とは“仏弟子”のこと。菩薩と言い換えてもいいでしょう。
“阿弥陀”とはインドのことばで“はかり知れない”という意味ですが、
それは“阿弥陀仏の寿命自体がはかり知れない”“阿弥陀仏の発する光明がはかり知れない”のほかに、
“極楽における阿弥陀仏の弟子の数がはかり 知れない”ことも名前の由来となっているのです。
・“囲繞”とは、取り囲み、めぐること。つまり、ぐるぐると阿弥陀仏のまわりを回る、ということです。
これは、インドで最高の尊敬を表す所作です。つまりは、「数知れない程の弟子たちによって、これ以上ないくらい最高の礼拝をされ続けている」ということ。
・“微妙”―今の日本語の語感では、「どちらでもない」というような、曖昧な意味になってしまっていますが、本来は非常に良い意味です。
“妙”は「妙なる」と読めば、それだけで非常に良い意味ですよね。“微”は「ひそか、かすか」の他に「妙なる」という意味もあります。“微 妙”で「奥深く知り難い」「なんとも言い得ない細やかな味わい」という意味になるようです。
・“安楽国”―“極楽”の異訳です。極楽は原語でSukhavatiで、“幸いの満ちる世界”といった意味です。“極楽”が最も有名な訳です が、他に“安養国あんにょうこく”“安楽刹あんらくせつ”といった言い方もあります。

さて、漢字の横に記された音符は、「博士(はかせ)」と言います。音の高さや上がり下がりを示す線のほかに、「トメ」「ユソ」「クル」など は、独特の声の出し方や微妙な音程の調整を指示しています。
残念ながら私は浄土宗の僧侶で、真言宗の声明は正確にはわかりません。
西川隆範先生は真言律宗の僧籍をお持ちで、先生にお尋ねしましたら「これは見た通りですよ」とおっしゃいながらさらさらっと歌って下さったの ですが、私には把握できませんでした。
(この阿弥陀讃を持って来られたのも西川先生です。)

一応、CDを計画なさっているお坊様もいらっしゃるようですが、まだ購入などは出来ない感じです・・・。
http://www.eastvalley.or.jp/cdproject.html
(Disc no.9に収録予定のようです…。)

こちらに、博士についての解説があります。
http://www.eastvalley.or.jp/hakase.html
阿弥陀讃ではないですが、こちらも参考になるかと思います。
http://www.eastvalley.or.jp/gakuri.html




以上です。ご参考になりましたでしょうか?
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2012_08
31
(Fri)01:40

そうっと地獄を覗いてみよう!仏教マンガと、霊感マンガ。

久々に本屋さんで雑誌を見ていたら。
んん?やけに正しい仏教知識のマンガがあるぞ!?

と、今さらながら知りました。

『鬼灯の冷徹』。
鬼灯の冷徹(1) (モーニング KC)鬼灯の冷徹(1) (モーニング KC)
(2011/05/23)
江口 夏実

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ええ!?今さら??

と、その筋の方々からはお叱りを受けそうですが。
なんとこのマンガ、

「全国書店員が選んだおすすめコミック2012」1位

を受賞してるんですね~。


ワタシメごときが、今さら内容を説明するのも愚かざしいオコナヒでござんすが、
それでもあえて
ざっくりとお話し致しますと、

地獄の閻魔大王様にお仕えする第一の補佐官、これが鬼灯(ほおずき)様。
三白眼、一本角で、クールに、冷徹にお仕事をこなします。

なんかね。
作者・江口夏実さんの就職観・社会人観がふんだんに反映されていて、
みょーにリアルなんですね。地獄が。
まるで、どこかにこんな会社あるんちゃうか!?みたいな。
彼らは結構たんたんと仕事をこなすんです。
あ、モチロン仕事って、地獄の責め苦。

それから、地獄のクレーム応対やら、時代の波に合わせての、地獄の責め苦を現代風に、とか…。

あ、言い忘れてたけど、ギャグ漫画ですから。
それにしても
地獄についてこんな視点で考える人がいるなんて、オドロキ。
作者の江口夏実さんの、
仏教に対する、地獄に対するマジメな愛情を感じてしまいます!
(そして、そういう日常生活に役に立たない仏教知識トりビアが、多くの読者のハートを掴んでるんだよ!間違いない!!)

オモシロイんでぜひ買ってお読みくださいwww
鬼灯の冷徹(6) (モーニング KC)鬼灯の冷徹(6) (モーニング KC)
(2012/08/23)
江口 夏実

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おお、ごく最近に6巻が出たみたい!



さて、折角なんでもう一冊、マンガをご紹介。
その名も

『視えるんです。』
なんと、
“実話のホラーコミックエッセイ”!

視えるんです。3 (幽BOOKS)視えるんです。3 (幽BOOKS)
(2012/08/24)
伊藤三巳華

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ワタシメには霊能力なんていえるものはない(と思う)ので、
その真偽自体は測りかねるのですが、

霊能力のある方々は
こういう世界を体験なすってるのかなー

と興味深々で非常に参考になります。

「仏教は霊の存在を認めない」なんて立場のお坊様もいるけど、
それって、
西洋の唯物論の影響をモロに食らった考え方であって、
すでに時代遅れなんではないか

とワタシメなんかは愚考しておる次第ですが、

世間のヒトビトは逆にお坊様にそういう霊的な世界のことを期待しておられるわけで、
我々僧侶も
自分にそういう能力がないならばないなりに、
そういう世界に敬意を払ってゆくことが必要なんではないか、と思うんでありんす。

それにしても、作者の伊藤三巳華さんは、幼少のころからずいぶんご苦労なされたご様子で・・・。

あ、
パワースポット探訪エッセイ
「スピ☆散歩」の第1巻
スピ☆散歩 ぶらりパワスポ霊感旅1 (HONKOWAコミックス)スピ☆散歩 ぶらりパワスポ霊感旅1 (HONKOWAコミックス)
(2012/08/07)
伊藤三巳華

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なるものも出てるぞ。
うーん、機会があったら見てみよう。

皆さんも、興味がありましたら、読んでみて下さい!

2012_07
10
(Tue)06:46

おお!絵本『極楽』のレビューが、アツいぞ!!

ひさびさに、
絵本 極楽絵本 極楽
(2009/06)
西川 隆範

商品詳細を見る
Amazonの絵本『極楽』のレビューを見てみたら…

な、なんと、
かなり的確にこちらの意図を汲んで下さっているレビューがあるではないですか!
(もちろん、厳しいご意見もございますが。こちらはこちらで、有り難く甘受致します)

ちょっとご本人がたにこちらから連絡の取りようがないので、
了承を得られていないのが申し訳ないのですが、
とってもすばらしいレビューですので、一部拝借してご紹介させて頂きます!
(ご本人様がた、もし不都合がございましたら、いつでもお教え下さいませ。すぐに対処致します)



まずは、イワモトさん
「アミターユス・アミターバ、阿弥陀如来のことである。

「わたしが君をまもっているから、なにがあってもだいじょうぶだ。どんなふうでもいいから、どこまでも生きていくんだよ」

私が常に我が子に抱いてる感情、伝えているメッセージそのもの。
私の心の中に極楽があり、阿弥陀如来の言葉が伝わっている。私自身も、ずっとずっと見守られてきたのだ。」

「本来、子供というのは母親から愛され守られているという基本的安心感をしっかり持つことで、自信をもって社会へ巣立っていくことができる。その安心感がないと、いつまでたっても大人になれない愛されたがり屋さんになってしまう。
宗教というのは、単純に道徳的規範などを教え込むためだけではなく、時に実の母のように、人々に愛を注ぐシステムでもある。」



次に、tomoさん
「では”地獄”と対である”極楽”は善行の褒賞の場?

そんな短絡思考で絵本をひらくといい意味で裏切られるのが
この作品である。」

「極楽の風景は美しく珍しくはあるが、ある意味シンプルであり、
受身の娯楽的観光を期待して読むと多少物足りないかもしれない。

しかし極楽の本当のバリエーションは
人間ひとりひとりが自分の存在を丸ごと肯定して
ひたすら生きる人生の多様さの中にあるよと教えられている気がする。」



おお、よかった、よかった。
西川先生の真意でもあり、私たちが絵本『極楽』に細心の注意を払って込めた想いが、
こんなにも見事にすくい取られているではありませんか!!


もちろん、あくまでメインの読者は子どもたちです。
彼らに、くどくどした言葉ではなく、心の奥底に伝わればいいのであって、
他の立場の方々が、それぞれに感じられたことにも、等しく価値があることだと思います。


ぜひぜひ、引用の方々のレビューを、元リンクでお読み頂ければ幸いです。


それにしても、やはり
大人のための絵本『地獄と極楽』
も、必要ですね。
(必要だ!と思う方、ぜひコメント欄にご意見お願いいたします!)
2012_04
29
(Sun)21:25

ついにでた!絵本『極楽』誕生秘話、公開~!!

なんやまた、最近、絵本『地獄』がテレビとかで紹介されたそうな。。

絵本・地獄絵本・地獄
(1980/08)
不明

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まずは、4月24日の「朝ズバ」。う~ん、みのさん、なんて言わはったんやろ。
それからそれから、オリコンで首位!
「オリコン」って、なんか音楽みたいやね。書籍のランキングもあるんや。
いくつになっても、知らんことばっかし。


さて。
そろそろお話しときまひょかなー、と思いましたんは、
絵本『極楽』の誕生秘話(の一部)。

絵本 極楽絵本 極楽
(2009/06)
西川 隆範

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そもそもですね。正式な仏教徒となる以前は、ワタシメはシュタイナー思想を学んでおりました。
そんなこんなで、西川隆範先生の講演会に参加させてもらい。
そのご縁で、西川先生にお手紙を差し上げたり。
やがて、ワタシメは出家してですね。(←家出ぢゃあ、ありません!)
そのうち、鎌倉に参りまして、「先生、関東に参りましたんで、以降、お見知りおきを!」
そしたら先生から、「極楽の、いい絵は知りませんか?」のお手紙が。

そこから始まったんです。絵本『極楽』。
先生は、風濤社さんからシュタイナーの本を数多く出版しておられます。
そんな風濤社さんには、30年来のロングセラー絵本、『地獄』がありました。
でも、よく問い合わせが来たんですって。
「絵本『極楽』はないの?」って。
そして、先生のおことばにつながるんです。「極楽の、いい絵は知りませんか?」に。


絵本『極楽』は、私が以前におりました、二つのお寺の寺宝の絵からできております。
絵本の中心になっている「観無量寿経変相図」は、割合に浄土宗のお寺の多くがお持ちです。
そんなに珍しい、というわけではない。
でも、絵の大きさや仕上げの丁寧さなんかは、それぞれで割と差があります。
前にいた愛知のお寺のものは、ほどよくやわらかいタッチで、色彩もあざやか。
まさに、子供のための絵本にはピッタリの絵、だったのです。

それから、絵本の最初と最後の鮮やかな群青の背景の絵。
これは、京都の法然院に伝わる「聖衆来迎図」。二双六曲の、阿弥陀仏さまと二十五菩薩たちがお迎えに来てくださるお姿。
もう、うっとりするくらいきれいな絵!です。
本物は、群青も目が痛くなるくらい鮮やか!
(年に2回ある春・秋の特別公開の時には、間近で拝めますよ!)
(法然院の春の特別公開をキレイに紹介されているブログさまをみつけました。)

すみずみまで神経の行き届いた絵は、絵師の技量も並みではありませんが、
それを発注した(もしくは受け取った)人のレベルが、素晴らしく恐ろしく高かったのでしょう。
この絵を紹介出来ただけで、ほんとにこの絵本を出せた甲斐がありましたよ。
(私のもうひとつの著書『師、威厳あって温厚なり ~法然院の忍澂上人のはなし』では、この絵を観音開きのカラーページでたっぷり紹介できました。撮影してくださったカメラマン・上條氏が自身のブログで紹介してくださっています。)

師、威厳あって温厚なり―法然院の忍澂上人のはなし師、威厳あって温厚なり―法然院の忍澂上人のはなし
(2010/11)
珂然

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そして、撮影に行ってからがまた大変でした。
私が原稿を書いてはみたのですが、すべてボツ。
あまりに説明過ぎたり、ということもありますが、
何よりも西川先生が危惧なさったのが、
「子どもの自殺者が出ないように。」
浄土宗僧侶の私が書くと、どうしても極楽への憧憬が強く出てしまうんですね。
「ああ、極楽ってすばらしい!」って。

地獄はある意味、簡単なんですよ。
「悪いことすると、こんな恐ろしい世界に落っこちちゃうぞ!」って言えば、
子どもたちは怖がっておりこうさんになるでしょ?

でも、単純にその反対だと、どうなります?
「いいことすると、こんな素敵な世界に行けるんだよ。」
今は、子どもを取り巻く状況が昔よりも複雑です。
場合によっては、育児放棄や児童虐待の渦中の子どもたちもいる。
すでにこの世が地獄の子どもたちも、少なからずいる、のです!
そういう子どもたちが『極楽』の絵本に出会って、
「ぼく、いい子にしてるから、死んだらこんな世界に行けるんだ。」
と思っちゃうとしたら、どうなんでしょう?

『極楽』の絵本を読んで、そのことで一人の子どもも自殺などすることがないように。
『極楽』の絵本を読んで、子どもたちがこの世を生き抜く力が得られるように。

そんな願いが、祈りが込められているのです。

さらに、風濤社さんからは、
“いじめられっ子だけでなく、いじめっ子でもだれでもが救われるように”という願いが入っています。


ちょっとシュールで、わかりにくいところがあるかもしれませんが、
絵本『極楽』は、こうした祈りの結晶として、生まれたのです。

絵本 極楽絵本 極楽
(2009/06)
西川 隆範

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2012_03
30
(Fri)23:17

絵本『地獄』の服用のてびき。

今日、朝のフジテレビ情報番組「とくダネ!」で、
絵本『地獄』が大々的に取り上げられました!

絵本・地獄絵本・地獄
(1980/08)
不明

商品詳細を見る

それも、なんとCMを2つまたいで、
15分くらいの特集ッ!!

やー、びっくりしたなァ、もう。

全体の論調は、
「今、子ども達のしつけのために、大人気!」といった感じ。
ただし、コメンテーターの深澤真紀女史は、“脅迫的な部分を強調”して解説なさってました。

たしかに、この絵本は取り扱いが難しい部分は否めないですねえ。
書かれた30年ほど前とは、世相が違いますし、
人によっては「児童虐待だ!」と考えるかも。
現に、アメリカではこのままでは子供向けにはちょっと紹介できないみたい。

これらを踏まえた上で、是非購入なさればよろしいかと思います。
テレビのとおり、やんちゃな男の子には、効果絶大!な事例もありますし、
性悪説でもって人間を育てるならば、
最大の暴力装置としての地獄の存在をしっかりと胸に刻み付けるには、
絵本というのは最良のメディアでしょう。
ただし、人の中の猟奇性をくすぐる部分は否めないですし、
子どもながらに恐怖に慣れていて、全然平気でききめなし、ということもあるのかも。
もちろん、千差万別ですがね。それは、大人だっていっしょ。

ただし、重要なのは、一点。
30年前には、実際に子どもの自殺が相次ぎ、社会問題にまでなりました。
(参考サイト:別に藤原正彦氏の批判をしたいんじゃないんだけど、反論としてそのあたりが非常に良くまとまっていますので・・・)
ご覧いただければおわかりの通り、自殺の前に、「いじめ」の問題があるんですね。
「いじめ」の終着点としての「自殺」。
風涛社の先代社長さん(一度、ゆっくりとお話もさせていただきました)は、なんとしてでも、子どもたちの自殺を止めたかった。
日本の未来であるはずの、子ども達が自死を選んでしまう。
出版人として、ひとりの父親として、なんとしてでもこの現象に歯止めをかけなければ、と決意なされたのでした。

詳細は存じませんが、当時の編集者の方々が力を合わせて、さらに監修者として、当時地獄研究の第一人者であられた宮次男先生を招いて、
ようやく完成したのが、絵本『地獄』だったのです。
(衝撃力の強い絵本だけに、最初はなかなか本屋さんにも置いてもらえず、本当に苦労されたそうです。)

いろいろ言いたいことはありますが、とりあえず横に置いといて、
子どもの社会に「いじめ」がはやったのは、核家族化、かぎっ子なども影響あるでしょうが、
やはり大人の社会の中でいじめが容認されていたからではないでしょうか。
高度経済成長のなかで、熾烈に蹴落としあいをしていた大人たち。
それらが、どんなに薄まろうとも、子どもたちの生活意識に影を落とさなかったはずがない。

そこに、“悪は裁きを受ける”という、当たり前の、しかし大人たちが時に目をつぶってきた昔からの価値観を、もう一度子供たちに教えなおしたところに、この本の大きな価値があったのだと思います。
ちょうど、大人たちが
「地獄?そんな古臭い世界!そんなの、ない、ない!」と、仏教を馬鹿にして、その実、自分さえよければと、さんざんめちゃくちゃをしてしまっていたころ。
大人が、子どもに面と向かって、「悪いことすると、地獄におとされるよ!」とお説教する資格がなくなったころ。
そんな時に、絵本『地獄』が誕生したのでしょう。

直接的には、因果応報を子供たちに教えるため
そして、作者たちの込めたかった祈りとは、「どんなつらいことがあっても、ぜったい自殺なんかしちゃダメだよ!」

こんな思いで作られ、読み継がれてきたのです。


しかし、今は当時とは世相が違います。
もちろん、高度経済成長のころ以上に、
倫理的にどうかしている経済人も多いでしょう。
それらが子どもの生活意識にも反映して、学級崩壊が起こったり、
社会通念としても価値観の多様化が急速にすすんだり。
(多様化いうことばを隠れ蓑として、その実、モラル・ハザードだったり)。

小学校の教員のなかには、
「“いただきます”は宗教行為だからしません」とか、
授業のはじまりとおわりの挨拶さえもしない、なんて、
「はあ?どっかおかしいの??頭、だいじょうぶ???」
みたいな考えの人もあったりして、
さらに、我が子だけをまもるためにモンスター化する親があったり、
さらには原発への危機意識も啓発せずに、国の言いなりになって子どもに被曝をしいるような校長がいたり・・・。

今、親たちも、子どもに対してブレない道徳基準で叱ることが難しいのかもしれません。
いや、そういうことが出来ない親たちさえ、たくさんいるのではないでしょうか?

たしかに、この絵本の今のブームに火がついたのは、
東村アキコさんのマンガ「ママはテンパリスト」によるところが大きいでしょう。

しかし、親たちにとってみれば、それは自分が到底出来ない、恐怖による厳しいしつけを、
ある意味手軽に出来る、というところに新鮮さがあるのかもしれません。(極端、買い与えるだけでいいわけですから。でも、やっぱり親が子に読み聞かせて欲しいところですが。)

しかし、難しいのは、病気などで早く死んでしまう子供たちがいる、ということです。
30年前の、割とシンプルな価値観の時代なら、まだギリギリよかったかもしれません。

しかし今や、多用な価値観の時代なのです。
ひとりでも、たったひとりでも、しかたなく死んでいく子どもがいるのなら、この絵本そのままでは、あまりにも毒が強すぎる、のかもしれません。

ここは、やはりあくまで自殺を選ぶ子どもをなくすための抑止力としての絵本なんだ、
というところを、共通認識として、もたねばなりません。

そして、病気で早逝してしまう子どもたちは、逆に純粋なうちに仏様の世界に帰る用事があったのだ
といった理解を広めて、フォローしなければならないのかもしれません。

子どもの死を厳しく戒めてしまう内容のもつ毒を、いかにフォローするか。
まさにこの一点こそが、今の時代にこの絵本を読み継ぐに当たっての、最重要課題に思えてなりません。



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