2010_08
19
(Thu)23:43

「心のなかに神はいる」画像、公開~!

 さて、「画像をアップすると、ウケル」と人にアドヴァイスいただきましたが・・・
どうも、おやじシャツにパンツいっちょでPCをいじってる姿を載せるわけにもいかず
(←当たり前だろッ!)
とりあえず、昔撮った写真を携帯のカメラで又撮りして取り込んでみる、
というずさんな荒業をやってみました。

それが、これだ!!


ちょうど2000年に、イギリスに渡英したとき(←頭痛が痛い、と同じマチガイだ…)
V&A museumでこの彫像に出会いました。

マリアさまの胸の中央に、幼子のイエスさま。
私が昔から持っていたイメージの、
「心のなかに神はいる」
そのものであり、
神々しくも、みずみずしく、
たおやかに美しくって、

ズキュゥーン!!
と心臓を打ちぬかれちゃいました。

日本に戻ってきて、知り合いの日本画家のお兄ちゃんにこの感激を伝えたら、

「一人の職人さんが、一生に一つしかできへん、最高傑作ってあるもんなんや。
あんまりぱっとせんかった人でも、これだけはほんますごいなー、みたいなやつ。
もしかしたら、
それだけで燃え尽きてしもてもうあかんようになった、みたいなもんもあるんかもしらん。
なんせ、
この大英帝国のV&Aあたりは、
そんな誰かの唯一の最高傑作、みたいなもんがゴロゴロしとるんやで。
これも、だれが彫ったかわからんけど、
・・・
たしかにすごいなあ。」

・・・もっと、素直に褒めたらんかい!!


ちなみに、V&Aって、Victoria女王とそのダンナのAlbert公のこと。
あの、この二人がね、万国博覧会の元祖、なんですよ!
V&Aは、この博覧会の会場跡地に、残された展示品を無料公開したのがはじまりなんだって。
工業デザインの質向上を目的にはじまったため、
デザイン資料の充実ぶりは、ハンパない。
ちょっと調べてみると、資料の閲覧も自由で、
デザイン好きにはまさに垂涎ものかも。
ちなみに、オフィシャルサイトはこちら


あ、そういえば似たような図柄で
こんな絵もありました。


これは学研の『気功の本』から。
気功の修行のはてに、
身体の芯に、「真人」が生まれる、というもの。

う~ん、ちっちゃいおっさん?

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2010_07
31
(Sat)17:45

エゴエゴアザラシ…(あれ?なんか違うかも!?)

で、まあ言いたかったことはですねぇ、

「人間風情に純粋な利他行は無理だろう」ってこと。



え!?

「わたしの目指しているのは、たとえ無理だといわれたって、人のために何かをしたいんであって、自分のことはどうでもいいんです!」だって?



こういう方もいらっしゃるとは思うのですが、

もう一度、

今一度、

よくよく心の中を振り返って頂きたいのです。



「自己をも省みない利他行」とは、一体何のために行うのか?

“死後の安楽のため”

“より大きな功徳を積むため”

“自己犠牲を遂げてより偉大な自己を得るため”







ハッキリ言って、

みーんな、エゴですよ!



申し訳ないけど、

「エゴをなくそう、エゴをなくそう」としている動機をきちんと見つめないと、

“わが心のキレイゴト”の陰に、

あなたのエゴは上手に隠れていってしまいます。



これ、精神的なものを追究しようとする人は要注意!!



まずは自分のエゴをきちんと認めましょう。



そして、自利をきちんと追究して、そのまま利他へとつながっていく道を模索していったほうが、現実的&無理がないかと思います。





いやあ、今回はイタい話で、しかも笑いどころがなかったな

(いつもくだらないダジャレばっかりだから笑いどころなんてない、というツッコミはなし)。

2010_07
29
(Thu)22:17

みんなの目はフシアナだ!?

さてさて、前回の答え合わせですよ~!



“利他=エゴ”

そんなわきゃねーだろ(怒)!



はい、その通り。

そんなわきゃ、ありませーん。

(ここで、「お湯が涌きゃ、有馬おんせーん!」とかいうと、火に油だな。)





利他行とは、どこまでも相手のためにのみ、行うこと。

決してみかえりを求めてはいけません。

っていうか、この言い方がすでに、みかえりをガマンしてるんですね。

強いて言えば、純粋に相手のためになれれば、それを一点の曇りもなく、無邪気に喜べる(しかもそれに全くこだわらない)っていう…



まあ、ムリです!

人間には!

これはすでに、仏様、菩薩様の境地デスネー。



たかだか人間風情、すなおに自分のために生きた方がいいですよ~!

ていうか、私たち人間っていう在り方が、どこまでも自我に、エゴにからめ取られた存在なんです!

強いて言うなら、私たち人間の視野とは、「自我」というトタンに囲われた掘っ建て小屋の、木の板のフシアナから外を覗き込んで眺めているみたいなもんで、

「ろくろく見えない」

「しがみついてる小屋もボロボロ」

「でも、その中から眺めてるのが落ち着く」

みたいな、

仏様から見たら笑っちゃうくらい哀れな寄りどころにしがみついて、曲がったものの見方をしている、

そんなものかと思われます。

たぶん。

きっと。

たんこぶ。(←なんだそれ!?)



というわけで、

長くなっちゃったんで、続きは次回!

2010_07
28
(Wed)19:09

利他=エゴ!?

「みんな、ご利益ご利益って、都合のいいことばっかりお願いして、何かいいことがあるだろうって、むしが良すぎるっていうか、違うと思うんです」

はい、たしかにおっしゃる通り。

「利他行っていうか、自分のためじゃなくって、人のため、人のため…」

ここまで聞いて、

“ああ、この人はマジメな人なんだな”ということがわかりました。

その一方で…

「あなたのおっしゃる利他行とは、エゴに過ぎませんよ!!」(ババーン!)





…とも言えないので、

「いや、利他行というのも大事ですけど、まずは自利行といって、自分のためになることを考えた方がいいですよ。自利行が、そのまま利他行につながっていくものですし、ね。」





さてさて、皆さんはご理解いただけでしょうか?





自利をないがしろにして利他を追究しようとする、その心の働きについて考えてみて下さい。



ちょっと、アレに似てるかな?

ホラ、健康法にとりつかれたような人が、

「健康のためなら、死んでもいい!!」

ってやつ。



…ちょっと違うか。



2010_07
12
(Mon)12:06

お蔵だし その2

 まずはゴメンナサイ。
やっぱり、昨日は書けませんでした。

めずらしく日曜日のオフで、むすめとプラネタリウムに行っておりました。(そして後半、爆睡・・・)
いや~、いいもんですね!夜空の下で寝るって!! (←って、なんか違うだろッ!!)


・・・とまあ、いいかげんなブログですが、よろしければおつきあいください、ね!
(どうも、いいかげんとロハスを混同してるんじゃないか?)


さてさて、前回の続きですが、
宗教の大前提は、
仏さま・神さまがたしかにいらっしゃる、ということ。

これがなければ、宗教じゃないですよ、じっさい。
宗教は、
哲学でも、心理学でも、精神修養でも、成功哲学でも、
社会福祉でも、NPOでも、右や左でもありませんからね。

たとえ、そういう要素を含んでいたとしても、
それが中心でも、
それがすべてでもありません。絶対に。

まずは神さま・仏さまありきで、
つぎに大事なのは、どのように関わりをもつのか?ということ。

これこれの戒律をまもらなければならない、とか、
こういう お祀りの仕方をしなさい、とか、
こういう 心がけでいなさい、とか、
あるいはその神以外を拝んではならない、とか・・・

あの、最近(といっても近代以降、かな?)の傾向として、
「心のなかに神はいる」的なものがありますが、
一面、とってもいい部分をもった考え方だけど、
神仏に対する 敬いや畏れ、を身につけるには
マズイ考え方、なんですよね~。

単純に、
尊いお方に手を合わせましょう!
これが入り口にして究極
なんですよ!

これこそ、日本人みんなが持っているはずの「信心」!

ぜひぜひ、
もう一度まっさらな気持ちで「信心」を身につけてほしい!
というのが、このブログの魂胆なんです。

(なんだか今回はちょっとわかりにくかったですね。
またおいおい解説していきます。)

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