2011_02
27
(Sun)21:03

法然上人のうたを歌いました。

今日は旧暦の1月25日。
先日からお話している通り、
ちょうど800年前、浄土宗を開かれました法然上人が極楽へと御往生なされました。

万人に開かれたお救いを、多くの人々にお伝えされたんですね。
「南無阿弥陀仏」
この言葉には、
「極楽へと往生させて下さい!お助け下さい!」
という〈願い〉と、
その極楽へ往くための〈修行(方法)〉
とが籠められているんです。

いいですか?
まず、仏教は学問ではありません。
哲学でもありません。

もちろん、両方の要素を含んではいますが、
それが目的なのではありません。

お釈迦様の「毒矢のたとえ」
毒矢が刺さった時に、
大事なのは毒の種類を分析することでもなく、
矢の飛んできた方向を調べるのでもなく、
まずは
矢を抜くこと
ですよね。

まずは行動、まずは〈修行〉なんです。
どんなに御託を並べても、
なにもしなきゃ、なにも始まらない。

でもね、
ハードルの高い〈修行〉もいっぱいあるんです。
「煩悩を断て」
「心を澄ませ」
そのほか、あれはいけない、これはいけない、などなど。

でも、なによりも大事なのは、
仏様と向き合うこと。
どんなにおろかな、ダメダメ人間でも(最近では、「残念な人」って言うのかな?)
優しくお救い下さる、あたたかくお導き下さる仏様を、
まずは信じて、お敬いして、頼って、すがって、お願いして、助けてもらおうとすること。

法然上人がおっしゃったのは、たったこれだけ。
でも、たったこれだけのことを、
やるのとやらないのとでは、雲泥の差なんです。

電話番号があります。
電話をかければ、必ず通じます。

“そんなの、知ってるよ!”

でも、かけた人は必ず通じるけど、
かけない人は絶対に通じない。

だから、法然上人は、みんなに電話をかけるようにお勧めされたのです。

「疑いながらでも、念仏すれば往生する」
「眠くなったら、眠りから覚めてから、念仏すればよい」
これ、徒然草にも書かれている、法然上人の素晴らしさです。
人間が一番エライ世界にいると、どっちを向いてるのかわからなくなる。
仏様と一緒の世界にいれば、どちらを向くべきかが見えて来る。

子どもだけの世界では、きちんと大事なことをおそわることは出来ないでしょう。
もしくは、たいへん時間をかけた、遠回りになってしまいます。

大人もいる世界でなければ、子どもたちはどちらに向かえばよいのかも、わからないものなのです。

というわけで、
「南無阿弥陀仏」(阿弥陀様、お助け下さい!)
とお唱えすることが、
まっすぐ仏様に向き合う、一番の方法なのです。


他の宗派の修行も素晴らしいですよ!
でも、「ただひたすら仏様に向き合う修行」では、念仏よりも勝れた(しかも誰にでも出来る)ものは、
ないでしょう。


最近知り合ったお坊様たちが、今日をめがけて八日間、ずっと念仏申してます。
残念ながら参加出来ませんでしたので、
(今度、月例の別時念仏会に行こうかな…)
今日は自分なりに朝のお勤めで
「法然上人頌」(佐藤春夫作詞)を歌わせて頂きました。
これは、ちょうど今から50年前、法然上人の750回御遠忌のときに作られた曲です。

今日はマジメだったでしょ?
忍澂上人のお導きで、法然上人の御忌を、
心から尊くお祀り致したく存じ上げるのです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…
合掌。
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