2015_01
27
(Tue)10:55

法然さんと親鸞さんのちがい。

細菌、ちがった、最近、こんな記事が出てたよ。

「浄土宗、教科書にものもうす」
(新聞記事なんて、そのうちにリンクがなくなるから、画像も貼っておきまひょ。)
法然、親鸞の師弟関係記述は「不適切」 浄土宗指摘、高校教科書調査へ(1 3ページ) - 産経WEST
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大学時代の後輩がFacebookにあげてたんだけど、
コメントに「浄土宗、ようゆうた!」と書いたら、

「法然さんと親鸞さん、どう違うの?」

と聞かれました…。

そんなややこしいこと、聞くか…。

うーん、FBのコメント欄では書ききれへんさかい、よし、ほなブログでお答えしまひょ!
よしよし、「待てブログ!乞うご期待!」と書きこんでぇ、からの…
あれ?何日たったっけ?

とまあ、すっかり放置プレーのブログ管理人ですが、ひさびさのアップです!

法然さんと親鸞さんの違い、ね。

それはもう、ハッキリ言って、



別人やがな!


とまあ、クダラナサさくれつの当ブログですが、めげないお方はお付き合いを。



うーん、正直、困ったなあ。なんでかと言うと、浄土宗と真宗はけっこう違うからであり、
私の友人たちである三河すーぱー絵解き座のメンバーは、多くが真宗の僧侶で、
彼らになら冗談交じりで
「浄土宗はこうなのに、なんで真宗はそんなんやねん!」と話せるんだけど。

ネットって、公共の場ですからねえ。どこのどなたさんが、いつの日に見るか、わからんからねえ。

おいそれと普段思っている悪口は書けませんからねえ。(←悪口思ってるんかい!)


というわけで。

当たり障りのない、波風を立てない感じで書くでやんす。(←ほぼ、波風を立てているぞよ…)


まあ、浄土宗の人も、真宗の人もうなずけるような部分を、端的に書くでやんす。

浄土宗のお若いけど優秀なHDKJ先生いわく、
「法然上人は阿弥陀仏の“法身を生け捕り”にしてくださった」と。

これ、いわゆる仏身論の問題なんですけどね。

つまりは、仏をどうとらえるか。

これには通説で、三種類ありまして。
いわゆる、
人がめちゃくちゃ修行して、それが報われ、覚りを開いて仏となるパターン。 これを報身仏(ほうじんぶつ)という。

体って煩悩のみなもとやから、覚ったらそれもなくなるんちゃう?目には見えん、姿かたちもない真理の世界そのものこそ、仏さんの体やで!
という、いかにも頭でっかちな感じでイメージされるんが、法身仏(ほっしんぶつ)。

じゃあ、お釈迦さんはなんやねん?最初は人やったでー?いやいや、あれはやな。法身の仏さんが、「よっしゃ、人間ども救ったろ」って、
おんなじ人の姿に変身して助けに来てくれたお体やでー、という、またまたユメみたいな主張ででてきたんが、応身仏(おうじんぶつ)。


この、
法身・報身・応身が、
仏の三身論というやつで、
プロ(坊主)はみーんな知ってるけど、
フツーの人はまったく知らんし、知らんでもええやつです。
(そこまでゆうて、ええんかいな)


ほんでやね。阿弥陀仏サマって、めちゃくちゃどでかい極楽の王様で、これまためちゃくちゃどでかいお体をしてはるんやけど、
ただ大きいだけやなくって、いろーんな功徳を身にそなえてはるんやけど。

法然上人の教えでは、
このすんごい仏さまが、
いわゆる人みたいなお姿で、念仏する人が死ぬときにお迎えに来てくれはる、
っちゅうことになっています。

なんやようわからんけど、イメージも湧くし、
アホな、バカな、ダメな人間でも、念仏さえしたらええんやから、簡単やもん、ありがたいわいなぁ。

この、いわゆる「凡夫往生、死後往生」の仏様こそが、法然浄土宗の説く阿弥陀仏様なんです。


ひるがえって、親鸞さん。
「仏さまに姿かたちがあるっちゅうんは、まあ方便とゆうか、コドモダマシみたいなもんでぇ、
ほんまの信仰者、信の一念がある者にとっては、目に見えず、姿かたちもない真理の世界そのもののお姿の阿弥陀仏様しかない。ほんで、この阿弥陀如来のお心は、誰でも救うぞ、やから、もうつまり誰もがみんな、救われとるんや!ご恩に報いて、感謝の念仏したらええんや!」といったご主張。

つまり、「現世往生、報恩謝徳の念仏」こそが親鸞さんの主張であり、姿かたちのない阿弥陀仏様こそが最上なんです。


ほら、どないでっか?
どえらい違いでっしゃろ。


ひとことでゆうたら、
法然さんは、お体のある阿弥陀仏様に救ってもらう教え。
親鸞さんは、姿かたちのない阿弥陀仏様に、もう救われているという教え。

わかりんこ?
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