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2011_02
26
(Sat)01:51

ズバリ、“ギョキ”でしょう!!

さて、この2月27日が、旧暦の1月25日にあたります!

つまり、我が浄土宗の宗祖たる、
法然上人が極楽へと往生を果たされた日なんです!!


普通はね、偉いお坊様が無くなった日を
○○忌 
と、名前を冠して呼ぶのですが、
(一応、法然上人の場合も「法然忌」という言い方もあります。が、マイナー。)
こと、法然上人に限ってはですね、

「御忌」
と言うんですよ。

え?読み方?
まあ、「ゴキ」とも読めますが、
ここはですねぇ、

「ギョキ」
と呼んで下さい!

この「御」と書いて「ギョ」と読ませるのは、実は、
なんと天皇はじめ皇室にしか許されていない、とかなんとか。
(皇室に伝わる宝物を「御物・ギョブツ」と言います。この使い方と一緒。)

“あ~!ややこしいことしてはんで~!ええのん?ええのん?まずいんちゃうん?”
とかなんとか、冷やかされたって、平気だもん!ひとりで出来るもん!
(←いい年して、不気味以外のなにものでもないぞ…)

いや、この「御忌(ギョキ)」という名称はですね、
ちゃーんと、天皇から賜ったものなんですよ!
大永4年(1524)のこと、当時の天皇、 後柏原 (ごかしわばら) 天皇から、
浄土宗の総本山・知恩院へ、
「知恩院は、浄土宗の根本道場であり、宗祖入滅の霊跡であるから、毎年7日間、ここで御忌を勤めよ」
とのお言葉を賜りましてですね、
それ以降、法然上人の御命日だけ、
皇室にならって
「御忌(ぎょき)」
と呼ぶことが許されているのです…!

あらまあ。
なんとまあ。


このね、後柏原天皇は、たいへんな苦労人であられるんですよー!
なんせ、時代は応仁の乱の後。

お父様の後土御門天皇がまさに応仁の乱ビンゴ!だったのですが、
もう何回も天皇を辞めて譲られようとされたそうなんですけど、お気の毒さまに周りに止められまくって、
そのままズルズル。
でも、天皇家の周りの公家たちは、応仁の乱で散り散り。
政権は足利家その他だし、悪党は跋扈しちゃってるし、まさにビンボーくじ。
というか、朝廷も非常に資金面で苦慮されておられたようで、
なんと御土御門天皇、お亡くなりになられてから、葬儀の費用もなく、40日間ほったらかしだったそうです…。

そして、後柏原天皇は、即位してから、即位の儀式をする資金がなくって、21年目にして、やっと!
「即位の儀」が出来たんだそうです。
その5年後に崩御なさるんですけどね。うう、やっぱり御苦労人。

その、崩御の2年前に、件のミコトノリを出されておられます。
(「大永の御忌 鳳詔 (ほうしょう) 」と言います。)

でも、どうして法然上人に、特別に「御忌(ぎょき)」なる名誉ある呼び名をご許可なされたのでしょうね?

じゃあ、折角だから、次回に続く。
(←なにが「折角だから」だよッ!!)
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