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2011_07
17
(Sun)05:31

三界万霊(さんがいばんれい)のこと  その11  やっとこさ、無色界!

前回、ネーミングの説明だけでいっぱいいっぱい過ぎて、
ちょっと説明を忘れてました。
それは、恒例の「天国の大きさ」


色界の第一禅天は「一世界」。

第二禅天はそれが千個集まった「一小千世界」。

第三禅天はそれが千個集まった(つまり「一世界」が百万個集まった)「一中千世界」。


そして、です。
第四禅天の広さは、ですねえ。

「一中千世界」が千個集まった、「一大千世界」。別名「三千大千世界」。

すなわち「一世界」が十億個集まった世界の広さと同じなんですねえ。


もう、太陽系をいっぱい入れた銀河系、をいっぱい入れた大宇宙、がいっぱいあるみたいな。


もうすでにゲンナリしておるブログ主ですが、
「無色界」は、さらにそれを上回る存在ナンデス!
 ええっッッ!!!???

実は、もう大きさなんて関係ないのです。




「姿かたちなど超えた世界」

なんですから。




 ええええっッッ!!!???
(これだけ驚いた方は、ナイスリアクション。)



無色界はですねえ、もう精神的な境地なんじゃないのかな。
でも、それぞれに神様がいるのかな。どんな在り方なのか、皆目検討もつきませんけど。



無色界は、四つに分かれます。

下から述べると、


空無辺処(くうむへんじょ)

今までこだわってきた「空間」というものを打ち砕いて、
そもそも「空間とは無限大なもの」と見抜いた者が三昧の中で到達する世界。



識無辺処(しきむへんじょ)

「識(しき)」すなわち「心の働き」が無限だった、と目覚める境地。

宇宙の果てまでも手のひらに転がすような、
まるで『西遊記』の始まりに孫悟空がお釈迦様の手のひらの上から出られなかったようなもの?



無所有処(むしょうしょ)

「なにものも、“有ること”などなかったのだ」と理解する境地。

「存在」というものの“かりそめ”たることを知ってしまうらしいですが、
まだそんなこと知りたくもないよなー、と思っちゃうのは、修行が足りませんか・・・!?



そして最後がちょっと早口言葉みたい。

非想非非想処(ひそうひひそうしょ)

「“想いがある”ということも、“想いがない”ということも、ともに乗り越えた境地」。

少しの心の振れ幅も、目残しなく、均(なら)してしまった境地、なんでしょうか。
うう、なんか、やだなあ。
人間味がなくって。
(もう凡夫の境地からはかけ離れているからね。)


この最後の境地・非想非非想処が別名「有頂天(うちょうてん)」
なんだか楽しそうな名前なんだけど、、、

ここまでこれたら、

もう最高!

なんて感激する感情もないんではないでしょうかね。
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