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2010_06
26
(Sat)05:33

挨拶って、コワイよね!? その2

 「なんや、たかが挨拶でたいそうなホラふきよるで。」
と思われるかもしれません。



そもそも「挨拶」とは、仏教の言葉なのです。
「挨」は近づいて押し開く。「拶」はもっと近づいてせまってくる、という意味。
座禅の道場で、お師匠様が弟子の修行の進み具合を測るために、
ググっとせまって押し問答するのが、
「挨拶」なのです。


そもさん! (お前の度量はどんなものじゃ!)」
せっぱ!! (わたしはこれだけのものです!!)」
といった具合に。


ある意味、こわいですよね。
自分の程度が相手に知られてしまう、なんて。
でもね、相手に知らせることで、
自分が自分の程度を知る
これこそが、意味があると思うんですよ。
「今の自分はこれほどの者に過ぎない。ようし、今に見ておれ!」と、
やる気を燃やすきっかけになる、のかもしれない。
なにもショックがないと、反省なんてしませんもんね。


そうして、
「きちんと挨拶が出来る人間になる。」
これこそが、
人としての、
まず始めの大目標
なんじゃないかな。


「わたしはここにいますよ!
 わたしはこれだけの人間ですよ!
 あなたはそこにいらっしゃいますね!
 どうぞご機嫌うるわしゅう!」


すべての子どもたちに、元気に挨拶が出来るようになってもらいたいんです。



でも、子どもたちには大人として注意が出来るからいいんですよね。


いい年した大人には、もう言えませんから
こちらが「人対人」で真心を込めて接してるつもりでも、
まるで機械がしゃべっている、とか、そもそも相手を無視しきって、
「お金をだすお客様なんだから、店の人間のご機嫌なんて取る必要ないだろッ!」
とでも言わんばかりのふてぶてしさで、
黙って、ぞんざいな態度で通り過ぎてゆく人…。


別にいいんですけどね。怒ってるわけじゃありませんが、


ああ、手遅れだな…


なんて、虚しくなりますね、そういう人を見ると。


そんな人たちも、きっと立派な社会人である以上、
自分の“肩書き”の中では、
きっとそれなりにきちんと挨拶が出来ているんだと思いますよ。
だって、自分の“肩書き”を相手に認めてもらいたいですもん。


でもね。
そういった“肩書き”のいらない場所では、
「ほかのだれでもない自分」に戻ってしまう。
「素(す)の自分」に戻ってしまう。


そんなときに、
人としての常識のはずの
「挨拶」ができない。


そういった態度の根底には、

子どものときから成長し損ねた
「素(す)の自分」が、無意識に感じてしまう
「見知らぬ人との接触を避けたい=見知らぬ人への恐怖」

があるんじゃないかな、って、
思ったのでした。

願わくば、「素(す)の自分」よ、成長したまえ・・・

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