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2011_09
28
(Wed)12:26

では、いきます!『阿弥陀如来根本陀羅尼』の逐語訳!

でわ、お待ちかね。
(え!?だれも待ってないって!?)

『阿弥陀大呪(阿弥陀如来根本陀羅尼の略称)』の逐語訳ですよ!



『阿弥陀如来根本陀羅尼』

のうぼあらたんのう たらやーやー
namaḥ ratna trayāya
(仏・法・僧の)三宝に帰依し奉る

のうまく ありやーみたばやー たたぎゃたやー あらかてい さんみゃくさんぼだやー
namaḥ ārya-amitābhāya tathāgatāya arhate saṃyaksambuddhāya
聖なる無量光如来・応供・等正覚に帰依し奉る

たにやたー
tad yathā
即ち

おん あみりてい
om amṛte
オーム、甘露よ

あみりと とばべい   あみりた さんばべい
amṛta-ud-bhave   amṛta-sam-bhave
甘露を生み出す尊(みこと)よ 甘露の源なる尊よ

あみりた ぎゃらべい   あみりた しっでい
amṛta-garbhe       amṛta-siddhe
甘露の胎よ         甘露を成就する尊よ

あみりた ていぜい
 amṛta-teje
甘露の威光よ

あみりた びぎゃらんてい   あみりた びぎゃらんたーぎゃみねい
 amṛta-vikrānte       amṛta-vikrānta-gāmine
甘露の勇猛なる尊よ      甘露の勇猛なることを行ずる尊よ

あみりた ぎゃぎゃのーきちきゃれい   あみりた どんどび そばれい
 amṛta-gagana-kṛti-kare       amṛta-duṃdubhi-svare
甘露の虚空の(如き広き)作用をなす尊よ 甘露の鼓の如き音よ

さらばー あらたー さだねい   さらばー きゃらまー きれいしゃ きしゃよう きゃれい
 sarva-artha-sādhane      sarva-karma-kleśa-kṣayam-kare
全ての目的を達成させる尊よ    全ての業と煩悩とを消滅させる尊よ

そわか
svāhā
スヴァーハー


以上であります。

どうでしたか?
さっぱりわかんない?

基本的に、真言マントラとはその仏尊・尊格への呼びかけです。(陀羅尼とは、マントラの長文のもの。)
呼びかけて、ほめたたえて、お慕い申し上げて、
まずは振り向いて頂く。
そして、できますれば、わが願いを叶えたまえ・・・
と、すがるようにお願いする。
だって、仏様とヒトごときでは、ラベルが、いや、レベルが違いすぎますよ。
そこをなんとかお願いしたい、という行法・体系が、真言なのではないか、と。
だから、ことばを尽くしてほめたたえまくるんです。それしかない!
その上で、願いごとを聞いてもらえるかどうかは、天におまかせ。いや、仏におまかせ。

そういう、「仏様お願いセット」がパッケージされているのが、“陀羅尼”なんじゃないのかな~。

あ、そういえば、「鼓」はサンスクリットの「duṃdubhi」の音そのものからきているんだよ。
「応供」というのは、“お供えを差し上げるのに相応しい人”つまり、聖者。煩悩を断ち、輪廻に戻ることも無い完成形の聖者で、原語では「arhat」漢字で「阿羅漢」。
「きゃらま」は「カルマ」、つまり「業」。

まあ、そんな感じでちょっとでも聞いたことある単語があると、親しみも持てやすいのでは?


次回は、むかしのメモに記された、硬派な意訳をのっけちゃおうっと。
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2018/10/11 (Thu) 10:52 | # | | 編集 | 返信

Re: 大切な陀羅尼

コメントいただき、ありがとうございます。ご指摘の箇所、「ありんす」を「あります」に訂正しておきましたのでご確認ください。

また、「上から目線での法話」というのはどの部分でしょうか?
このブログそのものが、読者を一般の方を対象としております。(もちろん、貴僧のような方もお読みいただけるのでしょうが)
もし不愉快にお感じでしたら、すみませんがブログを閉じて頂きたく存じます。
全方向に恙ない文章を書くことは出来ません。専門性を排して、わかりやすくを信条にして書いたものです。
そもそも、私は浄土宗の僧侶ですので、真言の方が大事になさる気持ちを理解して差し上げることは出来ません。(そちらが門外漢にはまったく閉ざした教えなのでしょう?)
私は言語学的にDharaniを理解し、自分なりに宗教的な信心を持って書いており、それを無償で公開しているだけなのです。どなたかのお役に立てれればよいな、と思って。
別に真言僧侶向けに書いているブログでもなんでもありません。
「魂が宿るので自重を」というのは、真言の方が真言・陀羅尼を訳さない、ということを訳出して載せていることへの非難ですか?
残念ながら、私はその教えを受けている人間ではありませんし、浄土宗も阿弥陀如来根本陀羅尼を用いますので「真言宗の陀羅尼を勝手に訳した」と仰られるのもお門違いかと存じます。
何より、
現代はインターネットの時代で、インドの言葉もすぐに調べて訳することが出来るのです。
訳することで、その言葉のすばらしさをより一層味わうことが出来、より意義深く御仏への信心を保つことが出来、真言・陀羅尼を唱えることが出来ると思います。
そういった努力をすることは、間違っていますか?
内容も分からずに、ただ「ありがたく」お唱えすればいいのですか?それとも、そこに外部に漏らしてはいけない秘密の教えが沢山おありなのでしょうか…

ご意見としてはありがたく頂戴いたしますが、些末な言い回し以外の部分は、訂正の仕方がわかりませんので対応致しかねます。
また更なるアドバイスを戴けるようでしたらどうかよろしくお願いいたします。
南無阿弥陀仏
合掌

2018/10/11 (Thu) 20:25 | souryoeishin #- | URL | 編集 | 返信

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