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2011_12
04
(Sun)06:50

『第九』「歓喜の歌」の、“喜び”ってなんだっけ!?

えー、さて『第九』の歌詞の解説でも始めましょうか。

まずは、ベートーヴェンがこさえた、最初の部分でっすが。

「おお、友よ!これらの音たちではない」

“これらの音たち”とは、
つまりは、この交響曲の第1、第2、第3楽章のことですね。

「歓喜の歌」は第4楽章で、このバリトンソロが入るまで、第1、第2、第3楽章が断片的に出てきますもんね。

第1楽章の“不安”、
第2楽章の“おべっか”、
第3楽章の“甘美なる忘却”。
どれも、今の私たちに本当に必要な態度なのではない!
(つまりは、ベートーヴェンの作曲の動機、当時の社会体制にたいする不満・批判なんですね。
フランス革命に成功はしたものの、いわゆるウィーン体制で反動的に保守の世で、自由な弁論などが規制されていたようです。)
そんな、ビクビクやおべんちゃらや現実逃避ではなくって、
真実に自由な、喜びに満ちた世界こそが望まれる!
そんな想いからたどり着いたメロディーこそが、あの「歓喜の歌」ってなワケです。

それにしても、
「美しい神の光、エリーズィウムからの乙女よ」って、
なんだかまわりくどい、というか、よくわかんない言い回しですよね?
いやんなったから、後ろから見ていきましょうか。

「天幕の彼方に、父なる神はましますに違いない」

Sternenzelt“星の蓋い”と言う言葉は、
天動説の宇宙観で、惑星の天、恒星の天の遥か彼方の、「至高天」という究極の天国のこと。

そこには、必ず父なる神がましまさなければならない。

またこれも
「だからなに?」
とピクピクきそうですが、
つまりは、
「いばった専制君主みたいないやな奴が上に立つのではなくって、
本当に偉い神様がおれたちの上にはいるんだ!」ってなこと。

ということは、つまりは
「エラそうにいばってる奴らだって、同じ人間じゃないか!
人間同士は平等なんだ!
だって、神様よりもエラくないだろ?だから、いばるなよ。みんなで、自由に楽しくやろうじゃないか。」
ということかな。

いきなり言っちゃったけど、
ここらがこの曲の真のメッセージ。

ここから考えるとですね、
冒頭の「喜び=美しい神の光=エリーズィウムからの乙女」という言い回しにも、
人間社会が階級でせちがらくなる前の「神話の時代、楽園の時代に戻ろうよ、みんな平等でさ!」
といったメッセージが透けて見えてきますね。

was die Mode streng geteilt;
“時の流れが強く引き裂いたものを”

このへんの部分はシラーの原詩をベートーヴェンがいじった部分ですが、
(シラー原詩:貧しき者らは王侯の兄弟となる→ベートーヴェン:すべての人々は兄弟となる)
これも抽象的に、わかりにくーくしてますが、本当は当時の政治批判ですね。
“神世から時代が下って、人間が勝手に身分の上下を作って人間同士を切り分けるようになった”、という。

少しづつ、見えてきましたね。
「喜び」って、「真の自由を得た喜び」なんです。
誰もが自由で、平等で、博愛に満ちた。
(←フランス革命の理念ですね。)

もう大事なところが言えちゃったんで、今日はおしまい。
また続きで、もう少し細かい部分の解説もしようかなー。
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