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2012_01
08
(Sun)06:42

初詣におみくじは、正しい!

さて、今さら「初詣」の記事も、なんだか手遅れな感じですが。

まず、初詣の原形はというと、

“国家を安泰ならしめる修法”である「修正会・しゅしょうえ」
です。
これは一週間とか、ぶっ通しでおこなわれて、
平安の貴族たちもうつらうつらしながら夜中だって途切れることなく続くお経の声に聞き入っていたみたい。
(『枕草子』に書かれています。)


仏様のおっしゃられた通りに、

“正しい修法(御修法・みしほ)をおこなう”ので、

「御(おん)おこない」と呼ばれ、
またたんに「おこない」とも呼ばれるようになりました。
(これは、帝釈天など仏教守護の善神たちに“リアルに監視されている”という緊張感があったみたいです。)

1月は、
この“正しい「おこない」をおこなう月”なので、

「御正月」

と言われるのです。


さて、「おこない」はやがて「オコナヒ」と呼ばれ、
各農村の土着の信仰と混ざりながら、ビミョーに変質しつつ継承されてゆきます。
「餅」「注連縄」「参籠」「牛王宝印」など、独特のキーワードが共通でありながらも、
もはや各地で、てんでバラバラの“村の特別な祭り”となってゆく。

そして、
時代が下っておそらくは江戸時代くらいから、
江戸の町衆の年越し-新年の行事として、
“大晦日から宵越しの寝ずのお参り”としての「初詣」の風習は定着してゆきます。

つまるところ「初詣」って、もともと参籠行だったんです。
それが、だんだん簡略化され、娯楽化されてゆく。
「じゃあ、次はあそこのお寺さんにお詣り行こうか」みたいな、飲み会のハシゴみたいに。


だけどね。
もともとは、厳しい修行である“参籠行”を通して神仏のご加護を戴き、
さらに言えば、その信仰する神仏からのアドバイス-お告げを得るのが、目的だったんです。

まずは“修行にのぞむ心構え”が必要であって、
それから、“自分の願いは何か”、
“どの神仏に祈願するのか”、
そして“どうやって験(しるし)を得るのか”。
これらを明確にしなければならなかったのです。


自分の直面している問題に対しての解決策を、信心している神様仏様から得る。

そのもっとも直接的な方法とは、
神仏の生身のお姿を拝むこと。
お会いして、直接お言葉を戴くこと。これって、かなりショッキングな神秘体験!

それよりややおとなしいのが、声を聞くこと。お姿はナシ。

それよりも一層ハードルが低いのが、夢に見ること。
まあハードルが低いと言っても、
だいたいが“寝ずの参籠行中のこと”ですから、
夢ともうつつとも知れぬ、
「夢遊状態のトランスの中での神仏との出会い、お告げ」なワケです。
結構難しそうですね…。


さあ、ここまではついて来られましたか?ガッテン?

この、夢のお告げよりもより一層誰にでも可能な、
誰にでも開かれている方法こそが、
「おみくじ」。
そう、
初詣に行くと、みんながついつい引いてしまうやつです。

「おみくじ」こそは、誰にでも得られる“お告げ”なんです。
なんせ、紙に書いてありますから。
でも、
なーんも考えずに、
神仏に手すら合わせずに、「なんかいいことないかなー」と思って引いたって、
それはお告げでも何でもない。本当に、ただの“運だめし”。
ま、もちろんそれでいいと思っている人の方が、多いんでしょうけど。


今までの流れを踏まえれば、
まずは神仏にお参りし、ご挨拶し、自分なりに誠意を示すこと。これが必須で、
さらに、
その神仏のご意見を伺いたいことを心中で問いかけ、
“神様仏様、私はどうすればよろしいでしょうか?おみくじにてお導き下さい”とお願いしてから、
おみくじを引くべきでしょう。

おみくじ自体も、いろんなことが書いてあります。
そのなかで、今の自分に関わる部分だけを読めばよいでしょう。
質問に対しての答えは、自分なりに読み解けばよいのです。
さらに言えば、
おみくじを通してお告げを下さったことに感謝申し上げて、
もう一度ご挨拶のお参りをしてから、その場を離れれば、道理としても失礼がありませんね。


さあ、どうでしたか?
「初詣におみくじは、正しい!」でしょ?
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