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2012_02
26
(Sun)07:05

百八煩悩も、たったの六つ!

さて、ひさびさの更新になりますねー。
年末に、百八煩悩について調べて、

こりゃおもしろいや。当分ネタに困らないぞ

と思っていたら、なんと当分更新しなかった、と…。

さてさて
「百八煩悩の一々について具体的に述べよ」
なんてテスト問題があったら、
デタラメにでっちあげてもとうてい百八も埋まりそうにありませんが
(しかもデタラメなでっちあげも、たいがい煩悩のカタマリっぽいけど)
なんと!
まとめてしまうとたったの六つ!になるんです!
その証拠が、こちらのサイト様っ!(←肝心なところは他力本願かよ…)

まず、百八ですが、大きな煩悩98と、小煩悩(子煩悩ぢゃなくって)10にわかれます。
小煩悩は、また今度とりあげませうね。

で、大煩悩ですが、先ほどのサイト様の図のとおり、(図はコチラ。記事の下の方にすばらしくまとめておられます。)
六つの煩悩(一部を詳しく分けても10の煩悩)それぞれが、ケースバイケースで98パターンにまでなっちゃう、というワケなんです。
(もちろん、百八の分類方法自体が違う説もありますが。)

ま、ややこしいはなしは先に送ることにして、今回は、「百八→六」にできる!とご理解いただければ。

さて、その六つですが、こうです!

1 むさぼり
2 いかり
3 おろかさ
4 うぬぼれ
5 間違った見方
6 うたがい

どうですか?これだけおさえれば、「プチ煩悩マスター」ですよ!(←そんな称号ヤダ…)
これら六つは、どれもが
“覚りから目をそらさせる、煩悩の闇、無明の闇の眠りへと引きずり込む働き”なので、
六随眠(ろくずいめん)と言います!
(このうち、5間違った見方をさらに五つに分けたものを合わせた場合、「十随眠」と言います。)

いいですか?「煩悩は罪悪」みたいに思われているフシもありますが、
仏教は覚りの体系。
その覚りを目指すには、さまたげとなるものが煩悩であって、
煩悩そのものが悪者でもないし、煩悩をなくすなんて、根本的には出来ないだろうし、
さらに言えば、娑婆を生きていく上では、ある場面ではその煩悩が役に立つ、ということすらあります!
ただ、覚りを求めようとするなら、特にこれら六つには気をつけて、
日々の反省のなかでも、なるべく目こぼしなくチェックして、あまりこれらが心に起きないようにしよう、という…。

さあ、これぐらいの前提条件をふまえて、けっこう気楽に六つを見ていきましょうか!
ふんふん。だいたいどれもこれも、誰の中にもあるものですねー。
この、インターネットのなかにも、かんなりあふれかえっておりますなー。
たとえば。

1 むさぼり・・・グルメサイト
2 いかり・・・・反〇〇、嫌〇〇
3 おろかさ・・・トンデモetc.
4 うぬぼれ・・・〇ちゃんねる
5 間違った見方・〇ちゃんねる
6 うたがい・・・〇ちゃんねる

あ、あんまり怒らないで!それ、二番目の煩悩よ❤


まあ、ちょっくらマジメに解説してみましょうか。
この六つすべての底に流れているのは、「自己保存」でしょうなぁ。
特に前の三つが三大煩悩・三毒煩悩と呼ばれて、仏教のメノカタキ的な、ワースト3みたいなやつですが。
この三つは、特に「自己と他者」の問題、どうしようもない大問題なんですね。
1むさぼりとは、「他者(のもの)を自己のもの、とすること」。欲をはる、とは、誰かに迷惑を及ぼしていくことなんです。
2いかりとは、「他者を認めないこと」。自己の正統性・正義を主張するために、他者を否定すること。怒る時には、「私が正しい!アイツは間違っている!」という立ち位置になるでしょ?
3おろかさとは、「自己も他者もみえないこと」。相手の気持ちや立場を平気で損ねるおこない―これをおろかと呼ばずに、なんと呼びましょう。それは、まわりまわって、自分自身も損ねているのです。

どないでっしゃろ?
さて、後の三つは、他者に対して、どういうスタンスで出るか、ということかなぁ。
上から出るか(4うぬぼれ)、下から出るか(6うたがい)、決めつけてかかるか(5間違った見方)。
いや、自己信頼の度合いかな?
自分を信じまくっているか(4うぬぼれ)、自分(その鏡像としての他者)を信じられないか(6うたがい)、自分だけ信じて、他者を信じられないか(5間違った見方)。


総じて振り返ると、どれもが、物事を真っ正面から受け止めることができていないような感じですね。
人それぞれやから、価値観・性質にクセがあるワケで、個性と考えれば、どの煩悩もぜんぜんオッケーなんやけど、
でも、
ちょっとでも覚りの道、というか、仏道を志そうとするのでしたら、
この六つを気にして、この六つを減らすように努力し続けることが、
「仏教徒」「仏道者」「求道者」として求められる、最低要件である、
ということで、煩悩「六随眠」をとらえてくれはったら、ええんやとおもいます。
おわり。(最後の最後が、小学生の感想文みたいやな・・・)
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