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2012_06
03
(Sun)07:24

九十八随眠⑤ 神々の煩悩って・・・?

さあ、昨日の続きです!


そして、そしてですよ。
やっと本題に入れます。

私たち欲界の衆生の煩悩と、
色界の世界の神様たちの煩悩とは、

たとえばおなじ“むさぼり”であっても、かなり質的に違うのだ、

と思われます。


わたしたちが

“ケーキいっぱい食べたい、
可愛い女の子やイケメンといちゃいちゃしたい”


などと“むさぼる”のに対して、


色界の神々は、

あっさりとさわやかな“情け”のなかでほしがったり、
神々しく美的なものへ愛着をもったりする

のでは、ないんかなあ。

同じ“むさぼり”でも、質的に、根本的にどっか違う、と。

(もちろん、本当のところは正確にはわかりませんが。)


これが無色界の神々の煩悩ともなると、正直、手に負えましぇーん。

もう、
“神々”ってったって、すでに姿形もあれへんわけやから、

そもそも一個人(いや、一個神!)といった観念すら、ないと思われ…。


姿形もないわけやから、
一体、個別な煩悩なんてあるんかいな?
と思ってしまうわけですが、

たとえば
「空無辺処天」ならば、
“空としてどこまでもあろうとする意志”として神様
がおられ、

「識無辺処天」ならば
“識(心の働き)としてどこまでもあろうとする意志”として神様
が現れる、

といった感じなんかな?


そうなってくると、

“なにかを、そのままで在らしめようとする大いなる意志”そのものが神であり、

それらの
意志そのものが、
意志として存在するがゆえに、
業を背負う
こととなり、
煩悩として捕えることも出来る、のかもしれません。


だから、
私たちの
“しば漬け食べたあい。。”といった煩悩と、

無色界の神々の
“空は空として、識は識として、無辺に在らしめたい”といったおおいなる意志=煩悩?
とは、

ずえんぜん比べものなんかにはなりっこないのです!!


で、なんだかしちめんどくさいけど、下の表のように、
似たような繰り返しばっかりになっちゃうんです。たぶん。

98zuimen+hyou_convert_20120330090121.jpg


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