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2012_10
01
(Mon)00:36

「やまと心」について、さらに知ろう!! 

さあて、昨日の続きです!

昨日以上に、結構要約したり、割愛した部分も多いですが・・・
(どうしても、国家神道に導こうとする文章ですので。)

しかし、それらを抜き取ってしまっても
十分価値のある、すばらしい情操が描かれております!

毛嫌いせずに
戦前の日本人の大多数が持っていた、持とうとしていた、
理想的な日本人像
というものを知って下さい!
学んで下さい!
そして
たとえわずかなりとも、
我が身に引きよせて身につけようとしてみてください!

日本人が日本民族としての誇りを取り戻すこと。
それが
近隣の国々の文化や歴史を学び、尊重することにつながるはずなのです。
これは
「自分のことを愛せない人間が
他人のことを愛せるはずもない」

という理屈と同じです。


(「日本人」が、単一の日本民族だけを指さない言葉であることは、もちろん承知しております。
在日韓国・朝鮮人やアイヌ民族、またブラジルや世界中の民族の複合体であるわけですから。
しかしあえて、戦前の大多数の日本人の価値観を知らせたいのです。
あまりにも故意に、忘れ去られていますから。
伝統を見失った民族は
自分たちで未来を切り開く力を決して持ち得ないでしょう。
)

では、前置きはこれぐらいにして、後篇をどうぞ。
(今日はおふざけなしね。)




日本文化は
これらの「やまと心」の特性が
その〈日本的特徴〉として発揮されているのである。

即ち
「神々しさ」と「雄々しさ」とが特に濃厚である場合には
「渋(しぶ)み」もしくは「寂(さ)び」という特色となり、

「懐かしさ」と「みやび」とが中心となった場合には
「床(ゆか)しさ」という特色となり、

「清々しさ」と「大らかさ」とが中心となれば
そこに「気品」という特色を表現するものと思われる。


我が国における芸術教育、もしくは文化鑑賞上に特に留意すべき点である。

神道はそれ自体、また外来の文化を摂取して
かような文化的特色を発揮するという傾向を有しているのだ。


「やまと心」は我が日本民族の民族性であり
伝統的情操として三つの特徴を有している。
それは

統一性と
永遠性と
純真性である。

統一性により
組織し、同化し、団結し、順応し、単純化する。
これは「懐かしさ」にあたる。

永遠性により
無限に生き、無窮に栄えようとする。
これは「神々しさ」にあたる。

純真性とは
天真爛漫(てんしんらんまん)、瀟洒淡泊(しょうしゃたんぱく)、
自然な、飾り気のない、素直なことを貴ぶ性質である。
これは「清々しさ」にあたる。


「神(かむ)ながら」の信念は
かような伝統的情操を基調としているので
神聖、厳粛な気分を重んじ、
調和、包容の精神を貴び、
純潔、明朗な心持ちを尊重する。


日本民族もしくは「やまと心」の特性に基づく日常生活とは
「明浄正直の生活」である。

明(あか)き心、大きな広い明るい心と
浄(きよ)き心、美(うる)わしい汚れない心と
正しき心、嘘偽りのない公正な心と
直(なお)き心、真っ直ぐな歪曲しない、片寄らない心―

ひと言でいえば、「まごころ(至誠)」もしくは「清明心(せいめいしん)」。


これら
「明き浄き正しき直きまごころ」は
生き生きと活動している。

これらの活動を
勤(いそ)しみ、さらにその上に努(つと)めるのである(積極的努力)。


「まごころ」より出てきた「努力」とは
さらに「修養」を要求する。
〈追う心〉と〈進む心〉である。


このような、
「至誠(まごころ)」と
「活動(はたらき)」と
「修養(おさめ)」とを包括して、
「明浄正直の生活」と呼ぶのである。


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