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2012_10
15
(Mon)06:16

法然上人のご法語、一部公開!第一章「登山状」

動画を見てたら、昔、ワタシメが大学時代の合唱団で演奏した仏教賛歌「登山状・抄(とざんじょうしょう)」がアップされてるじゃないか!


だれかが投稿してくれたんやな・・・。


久々に聞いて、思うところは色々あるけど、めんどくさいから書きません。(←なんやそれ!)

まあ、それよりも、
あの頃は、なあんもわかってへんかったなァ・・・
という感慨が深いワケでして、
そんな自分への未来からのメッセージっちゅうわけで(←だからなんやそれ!)

書きためてある『法然上人のご法語』の中から、「登山状」に関する部分を抜粋して公開しちゃおうかな、と。
(全文・31章ありますが、出版のメドが立っていません。出版社の方、もしくはスポンサーとなって下さる方、募集中!)

はっ!!今、なんか営業活動してたような・・・?
ま、ええか。ほないきます。

今日は、とりあえず第一章。
原文と現代語訳、そしてワタシメによる本文の解説と、原文のなかの専門用語の解説が続きます。書籍化されるんなら、一目で注も見やすくしたいんですけどね。。


○第1章  流浪三界

 それ〈流浪三界(るろうさんがい)〉のうち、いづれの境(さかい)におもむきてか〈釈尊の出世〉に逢わざりし。
〈輪廻四生(りんねししょう)〉の間、いづれの生(しょう)を受けてか〈如来の説法〉を聴かざりし。
〈華厳開講(けごんかいこう)のむしろ〉にもまじわらず、〈般若演説(はんにゃえんぜつ)の座〉にもつらならず、〈鷲峰説法(じゅぶせっぽう)の庭〉にものぞまず、〈鶴林涅槃(かくりんねはん)のみぎり〉にもいたらず。
われ、〈舎衛(しゃえ)の三億(さんのく)の家〉にや宿りけん。知らず、〈地獄八熱の底〉にや住みけん。
恥ずべし恥ずべし、悲しむべし悲しむべし。
 まさに今、〈多生広劫(たしょうこうごう)を経ても生まれがたき人界〉に生まれ、〈無量億劫(むりょうおっこう)を送りても逢いがたき仏教〉に逢えり。
〈釈尊の在世に逢わざること〉は悲しみなりといえども、〈教法流布の世に逢うこと〉を得たるは、これよろこびなり。
たとえば“盲いたる亀の、浮き木の穴に逢える”がごとし。
 我が朝に仏法の流布せし事も〈欽明(きんめい)天皇、天の下をしろしめて十三年、壬(みずのえ)申の年冬十月一日〉、はじめて仏法わたり給いし。
それよりさきには〈如来の教法〉も流布せざりしかば、〈菩提の覚路〉いまだ聞かず。
ここに我らいかなる宿縁にこたえ、いかなる善業によりてか、〈仏法流布の時〉に生まれて、〈生死解脱の道〉を聞くことを得たる。
しかるを今、逢いがたくして逢うことを得たり。
いたずらに明かし、暮らして止みなんこそ悲しけれ。
『法然上人勅修御伝(ほうねんしょうにんちょくしゅごでん)(以下略して勅伝(ちょくでん)、別称四十八巻伝) 第三十二巻』「登山状」より


さても我々は、〈苦しみの世界・三界〉を流され、さ迷いつつも、いずれの境涯にいたのであろう、〈釈尊のご誕生〉にはお会い出来なかった。〈繰り返しの生き死に〉の中での、どの生まれの命であったのか、〈如来の説法〉を聴けなかった。
〈釈尊が覚りの後、初めて開いた華厳の法会〉にも参加せず、〈空と智慧の真髄たる般若についての演説〉にも座を連ねず、〈名高い鷲峰山上での数々の説法〉の場にも行き逢わず、〈鶴のように美しく枯れゆく沙羅双樹の下で語られた最期の涅槃〉の床にも間に合わなかった。
私は〈舎衛国九億人のうち、釈尊の名すら知らなかったという三億の家〉に生まれていたのだろうか?今となっては知る由もないが、〈八熱地獄の底〉に住んでいたのだろうか?
恥ずかしいことだ、恥ずかしいことだ。悲しいことだ、悲しいことだ。
しかし、まさに今、〈多くの生まれ変わり、広大な時を経ても生まれることの難しい人間〉として生まれ、〈量り知れないほど果てしもない時を過ごしたとしても出会うことの難しい仏のみ教え〉に出会えたのだ!
釈尊のご在世の時に出会えなかったのは悲しみであるとは言え、〈仏のみ教えの法が流布する世の中〉に生まれたことは、これこそまさに喜びである。
譬えるなら、“海の底にいる目の見えない亀が、空気を求めて水面へと浮かび上がろうとするも、運悪くたまたまそこに流木が浮いている。ところが不幸中の幸い、ちょうどその木の節穴に頭が入り、木で頭を打つこともなく、願っていた呼吸をすることが出来た、というあり得ない奇跡のような喜び”―それ程のことなのだ。
我らが日本に仏法が広まっているのも、その始まりは〈欽明天皇の治世十三年目の冬、十月一日〉のこと。この日、初めて仏法が渡って来たのだ。これより以前は如来の教法も流布していなかったので、〈菩提へと目覚める道〉も、誰も知らなかったのだ。
ここに、我らはいかなる宿縁に報われたのだろう、いかなる善業を積んで来たのだろうか。この仏法流布の時に生まれ、〈苦しみの生き死にから抜け出すための道〉を聞くことを得た。そう、会い難くして会うことが出来たのだ。
それをいたずらに日々を暮らし、明かそうとしている。これをやめられないことこそが、なんとも悲しいことではないか。


【解説】
のっけから、「法然上人のご法語」と言っておきながら申し訳ないのですが、これは法然上人直々のご法語ではありません。弟子のひとり、「安居院(あぐい)の聖覚法印(せいかくほういん) 」の書き記した名文『登山状』の冒頭部分なのです。
この書がどういう経緯で書かれたのかを少しお話しましょう。
法然上人は天台宗の僧侶です。幅広く天台の教え、それにとどまらずあらゆる仏教を学ばれました。その智慧者である上人が、誰でもが救われる教えを―優秀な僧侶だけでなく、身分を越え、財産の有無はもちろん、その当時いやしいとされていた女性、また「悟りを求めよう」などとも思えない人々までもが救われる教え―これを、ついにみつけたのです。それが〈称名念仏〉。ただ「南無阿弥陀仏」と称えることだけなのです。
この教えは、当時混迷を極めた世に燎原の火の如くに広まりました。救いを求めても得られない、そう諦めていた人々の渇きを癒し、大いなる喜びを与えたのです。しかし、その「火」は少々、激しく燃え過ぎました。比叡山・天台宗の高僧方や、南都・奈良の学僧たちの反感を買ってしまうのです。
「あの法然とかいうやつと、その弟子たちはなんだ!あんなものは、仏教でもなんでもないぞ!」
偉いお坊様たちは、朝廷に抗議文を書き連ねて生まれたての「浄土宗」を弾圧しようとします。
そんな中で、法然上人はみずからの学び舎である比叡山の高僧方に対して、手紙を差し上げるのです。
「立場は少々違うようですが、私の主張も、まぎれもなく釈迦牟尼世尊のお諭しです。同じ仏教なのです。皆様と同様、この苦しみの世からの解脱を求めているのです。」
この想いを伝えるために、当代きっての名筆家といわれる弟子、聖覚に筆をしたためさせたのです。その手紙の名前が『登山状』。「比叡山を登って差し上げる手紙」です。(ちなみに、聖覚は、その父・澄憲と親子二代で説教の名人とも言われました。お父さんの澄憲は「浪花節の元祖」とも言われます。)
この『法然上人のご法語』のなかには、『登山状』が三章、含まれています。この第1章と、第21章、第22章です。これらはもともとつながっていて、どれも声に出して読めばまことに調子もよく、情にも切々と訴える名文です。本当は『登山状』そのものはもっと長文なのですが、中盤以降の論理的な仏教教理の部分は、この『ご法語』には含まれていません。機会があれば是非ご一読いただければ、と思います。伝統的な仏教の宗派の立場も損ねることもなく、なおかつ浄土宗の立場もきちんと主張して、情にも訴えながら説得しようとする名文です。

さて、この本文に説かれていることですが、大きく二つ。
「釈迦仏に生きて会えなかった悲しみ」と「仏教の広まっている世の中に生まれた喜び」。
この当時の世相は、大変すさんだものでした。平家という絶対的に見えた為政者一族の没落と武装した無法者たちの台頭(後の武士)。京を焼き尽くす大火。度重なる飢饉。疫病。大震災。まさに、経論に記されている「末法の時代」が始まったと考えられたのでした。
「末法」―すなわち、釈迦仏のように正しい悟りを開く者もなく(正法)、釈迦仏の正しい修行も絶えてしまった時代(像法)―。誰もが、その取り返しのつかない時の流れを嘆いたのです。そして多くの真面目な僧侶たちが、「お釈迦様への激しい追慕の情」に身を焦がしたのです。それらの自覚が、このご法語にも「釈迦仏に生きて会えなかった悲しみ」として表出されています。そしてさらに、“我が浄土宗”の意義を主張するために持ち出されたのが「仏教の広まっている世の中に生まれた喜び」。いや、このような下心があるかのような言い方はやめましょう。むしろ、「末法」の世でありながら、なお「人として世に生まれ、仏法に出会えた喜び」というものは途方もないもの。「末法に生きる我々でも、やはり救われるのだ」とお示しいただけた、〈『南無阿弥陀仏』の教え〉。このことに気付かせようとするのが、この第一章の真骨頂なのです。

流浪・るろう  波に流されること。さ迷うこと。
三界・さんがい  あらゆる迷いの生き物の住まう三つの世界。〈欲を持つ生き物の住む欲界〉と、〈欲はなく、形を有する神々の住まう色界〉、〈欲も姿もない神々の住まう無色界〉の三つ。六道のうち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間と、第六天魔王までの神々は、すべて欲界に収まる。
輪廻・りんね  生き物が死後、別の命として生まれ変わることを繰り返すこと。インドでは六道を永遠に繰り返すと考え、それらはすべて苦しみであると捉えた。輪廻の苦しみの輪から抜け出すことこそが宗教の目的とされた。
四生・ししょう  生き物を生まれ方によって四つに分ける。「卵から生まれるもの」「母体から生まれるもの」。生物学的に言うと「卵生・胎生」。これに加えて「湿り気の中から生まれるもの(湿生)」「変化(へんげ)して生まれるもの(化生)」。「湿生」は虫など、と言われるが、「化生」が「業によって突然生まれる=神」とされるところから考えるならば、むしろ「ネガティブな業(=湿性)から生まれる悪魔や鬼」とも理解できる。
華厳・けごん  この〈華厳〉から〈涅槃〉までは、天台宗が考えた釈迦仏の説法の順番に沿っている。〈華厳〉とは『華厳経』のことで「釈尊が覚りを開かれてから初めて語り出した説法で、覚りの世界のありのままの姿が説かれているために、難解で理解できる者がほとんどいなかった」と言われる。これに引き続いて、説法を聴く者にあわせて身近なたとえを取り入れた〈阿含〉が説かれる。
般若・はんにゃ  〈般若〉とは『般若経典』で、全六百巻もある膨大な教え。「あらゆる仏が覚りを得るために目覚めた智慧」こそが〈般若〉で、それはなにものにもとらわれない〈空〉をその性質としている。言葉を超えた世界の智慧を、言葉を尽くして語る経典群。
鷲峰・じゅぶ  釈尊が主要な経典を説法した場所・グリドラ・クータ(鷲峰山。山頂に鷲の形をした岩がそびえる)のこと。当時の大国・マガダ国の王都(舎衛城)の近くにある。ここで説かれた経典に『無量寿経』『法華経』などがある。
涅槃・ねはん  釈迦仏がこの世を去り、完全なる涅槃界に入られること。入滅。クシナガラの沙羅双樹の下で横たわり、弟子たちに最期の説法をなされたという。その様子を記した経典が『涅槃経』。
舎衛・しゃえ  マガダ国の王都・舎衛城のこと。国王・ビンビサーラ王が釈尊に帰依したため、仏教の一大外護国となったが、その人口の三分の一、三億人(三十万人を指すとの説も)は釈尊のことをまったく知らなかったという。
地獄八熱・じごくはちねつ  仏教における地獄は様々な種類があるが、その代表格が、この「八熱地獄」。等活→黒縄→衆合→叫喚→大叫喚→焦熱→大焦熱→無間と、燃え盛る炎も与えられる苦しみも増してゆく。また、この順番に、地下へ地下へと堕ちて行く。
欽明天皇・きんめいてんのう  第29代天皇 (509-571、在位は539-571) 。この天皇の在世当時、公式に百済王より仏教が伝えられる。「金銅の仏像、幡蓋、経巻若干」が贈られたという。
壬申・みずのえさる  『日本書紀』によると、欽明天皇の「壬申」の年に仏教が伝来されたという。西暦では552年。“壬申”は「干支・かんし」のひとつで、〈五行(木・火・土・金・水)の陰陽(兄え弟と)〉と〈十二支〉との組み合わせで、六十通りある。つまり、同じ「干支」は60年に一度しか来ないため、元号と干支の組み合わせのみの表記で特定の年を言い表すのが昔の慣例だった。
菩提の覚路・ぼだいのかくろ  覚りへと至る道。すなわち、「仏教」。
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