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2010_11
01
(Mon)22:02

マボロシのあとがき、その3!(なんか、タイトルがワンパターンに・・・)

さて、そろそろ本編を読んでいないと「???」になって来たような・・・
(←だいたい、出版前にあとがきだけ公開、という企画がムチャやっちゅーねん!)
まあ、ちょっと流し読みしつつ、期待を膨らませておいて下さ~い❤
(なんというお気楽さかげん・・・)
出羽行きます!


この訳出作業中にわかってきたのが、忍澂上人伝を書かれた珂然上人(1669-1745)の文才ですね。だって、今回の本は、私が現代語に訳しただけで、内容の構成も文章表現も、すべて珂然上人が作ったものなんですもの!この方は僧伝研究の学者だそうでして、師の十七回忌(享保十二年1727)の時に、たったひと月で書き上げたんですって!それも仕事の合間に!ううむ、ここでも才能の違いを見せつけられます…。
実は珂然上人は、師とほぼ同時代人ではありますが、直接の面識はなかったそうです。歳の差、24年ありますから、師の往生の時は、珂然さんは四十二歳。そして師の十七回忌の時に書いたわけですから、五十九歳の時の書物になるわけですね。
そもそもが、珂然さんが師の伝記を書こうと思ったきっかけは、ちょうど最後に収録されている師の往生後の話、「真言の阿闍梨、兜率天で師に会う」を、阿闍梨のお弟子の立英上人から直接聞いたことに始まるのです。最初は、なにかのついでにこんな話を聞いた、ぐらいの気持ちで紹介しようと考えていらしたようですが、そもそも、その宥賢阿闍梨が夢でお会いした、という忍澂上人とはどういうお方ぞや?というところから興味をお持ちになり、調べてみると、おお、なんだかすごい人!それに、お弟子たちからも、「ぜひぜひ、師の十七回忌にあわせて伝記を書いて下さいませ!」みたいなことになって来て、「よっしゃ!いっちょ書いたろかー!」となったようです。すごいのは、奇瑞の話が、絵空事ではなくって、リアルだ、ということですね!だって、阿闍梨を看取ったお弟子が、お師匠さんの最期の生きざまがガラリと変わるのを見てるんですもん!浄土宗じゃない、ほかの宗派のお坊さん、それもかなりの高僧ですよ!阿闍梨が見た夢が、たとえ夢に過ぎない、としても、通常ではありえないことが実際、起きていたわけですよ、その時代に。
それとですね、この阿闍梨の話もとってもおもしろいんですが、個人的には竹生島での弁天様への荒行の話がいちばん面白い、と思っておりまして、これを知り合いの人に読んでもらったんです。そしたら、「物語として、とても面白いですね。」と感想をいただいたのですが、そこで、はたと気付きました。
―いや、この忍澂上人の話は、どこまでもリアルだ!
そう、私にとっては、フィクションではなく、すべてが真実なんです。弁天様のお姿も、お地蔵様の身長も、そして阿弥陀様のご来迎も。法然院の土地を賜った時に出て来た三千個の石、今でも石畳としてあるんですよ?それを踏んで生活してましたから。忍澂上人が思いついて設置した、蓮の葉のかたちの水鉢も健在です。ただ、あれがよもや自然に湧き出している泉の水をそのまま、今でも使っているとは思わなかった!この江戸時代の当時の、命がけの苦悩や修行で作られてきた場所が今でも残っていて、その創成期の想いを目の当たりに出来た―そんな実感が、今はあります。


今日はここまで!
・・・やっぱし、本編抜きで読むとけっこうつらいかなァ・・・。
皆さん、スンマセン!
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