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2010_11
02
(Tue)23:03

マボロシのあとがき、その4(そろそろクライマックスだ!!)

さて、そろそろ山場です!
法然院とは、そもそもどういうお寺だったのか?
つまり、忍澂上人が目指されたお寺とは?
という問いかけに対する答えが書かれているのです。
(本編を読む前に公開していいのか!?
いいんです。
だって、本編は、めちゃめちゃ面白いんですもん!)


 忍澂上人が作られたのは、「不断念仏・般舟三昧道場」です。あて推量ですが、当時は有志の寺衆が、三十人くらいは常におられたんじゃないかなぁ?院主、役僧、世話方で十名近くになりますから、門弟はそれと同じか、それよりも多い、とすると…。そして、皆でそろっておこなう六時礼讃の合間にも、誰かが必ず念仏を唱え続けていた。本堂で、もしくは自分の部屋などで。(このあたりは、座禅の道場に似ていますね。皆で座る時間のあとに、おのおのが好きな場所で座る、という…。)そうして、記事によると師の存命中にすでに一万日目にも達したようです。一万日というと、ざっと二十七年と半年近く、です。その後、不断念仏はずうっと続けられまして、昭和二年刊行の『法然院誌』によると、
「爾来今に至るまで、二百四十七年即ち八万九千餘日、連綿相続して一日といえども廃せしことなし、蓋し我が宗における不断念仏は当山を以て嚆矢となす。」とのこと。
八万九千日!ですよ。不断念仏が、ちゃんとつづけられていたんですね。びっくり!
しかし、残念ながら現在はそうではありません。この本の出版された二年後、世界恐慌が起こり、徐々に世界は第二次世界大戦に向けて突き進んで行きます。正確には存じませんが、戦争が本格化するなかで、実質的に継続不可能になったのではないか、と思われます。
徳川の世も終わり、官寺でもなくなったはずなのに、昭和の始めまで不断念仏が続いていたことが素晴らしい!また、それが絶えてしまったことが、残念でなりません。(もしかすると、戦後の農地解放によって山林や荘田がなくなった、ということが、不断念仏道場としての経済的な基盤を大きく揺るがしてしまったのかもしれません。)

現在の法然院は、時代の要求に答え得るお寺の在り方を追求して、さまざまな活動をされておられます。それは、先代の「社会に開かれたお寺」という考えを、今の方丈様が、より突き詰めて、より私たちの生活に身近なものとして模索し続けて来た結果なのでしょう。仏教のことをあまり知らないような方々にも積極的にお寺に関わってもらうきっかけを与える、とてもすてきな在り方だと思います。


さあ、いよいよ次回でマボロシのあとがきシリーズ最終回です!
お楽しみに~!!
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