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2010_06
18
(Fri)01:13

「宗教」は、明治時代からはじまった!?

 「宗教」ってことばは、実は「Religion」の翻訳語として創られたんだそうです。
外来語を日本のことばに置き換えて大量に訳さなければならなかった、明治時代というのは、
なかなか大変だったみたいですよ。
たとえば、医学用語(神経や筋肉など)や法律用語なども、
ヨーロッパの仕組みをまるまる輸入してきて消化しなければならなかったわけで。
なかなか名訳も多いけれど、思考錯誤のなかで消えていったものも多いそうです。
 お好きな人は調べてみてもおもしろいのでは!?


さて、では江戸時代以前の日本には「宗教」はなかったのか?
もちろん、そうではありません。
「仏道」「神道」と呼ばれて、ちゃんとありましたよ!
ただ、それらの総称というべきものは、なかったですから、
やっぱり「宗教」はなかった、ともいえるかな?

ちょっと注意してもらいたいのが、
「仏教」ではなく、「仏道」つまり「道」、ということ。

「仏教」という言い方は、異国の「キリスト教」が入ってきて、
「宗教」という概念が意識されるようになって、
「宗教」のなかの「仏教」として考えられるようになったのです。

それ以前は、「道」。
「道」を行くのは「行者」で、
「道」であるからにはかならず、どこかに通じているわけで、
究極的には「道」とは、ただ目的地にたどりつくための手段に過ぎない。
いや、過ぎなかった、のです。江戸時代までは。

ひるがえって、「教え」とは、信じる者(信者)が必要で、
「教え」とは「教え主」のためにあり、どこまでも「信者」の数なり、質なりを要求してゆく。
つまり、組織となってゆく。

ここに、なにか根本的な違いが生まれたように思えるのです。
「信仰心」は、「信じて仰ぎ見るこころ」。
つまり、「信者」が「教主」を「仰ぎ見る」、という動作が入っています。

「信心」にはそんなマヤカシめいたものはない。
ただ、「行者」が「道」を歩んで行く時にたずさえていて役に立つもの。
「道」のはるか向こうへとまっすぐにひっぱってくれる、
吸引力みたいなもの。
道の先になにがあるかなんて、よくわからなくってもいいから!
だいたい、神さまや仏さまの存在の大きさ、ふところの大きさなんて、
その道の一年生にはとうてい測りしれるようなものではないんだから、
まずは
「この道でいいんだ!」
と、腹をくくること「信じること」が肝心
そして、それこそが、
「信心」
なんです。

・・・今日は、笑えるところがなかったな。
反省。
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