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2011_02
03
(Thu)06:26

ええっ、オレが鬼なの!?  節分のはなし その2

さて、「節分」ですが、此の由緒、古代中国の書物『礼記』に記されています。
それによりますと、臘月の大晦日、
一年のけがれを払うために、「方相氏」という呪術者を呼んで、
目には見えない魑魅魍魎を追い払う。
それが節分の「追儺(ついな・おにやらい)」の始まりです。

方相氏は、四つ目の面に、鉾と楯を持ち、角を生やして赤ら顔(色白で角はない、という場合もあるようです)、
獣の腰巻をしていて、足を踏み鳴らしながら、弓矢を射る従者たち、石つぶてを打つ稚児たちを引き連れ、
鉦や太鼓を打ち鳴らす楽団も引き連れて、目には見えない魑魅魍魎どもを、町の外まで追い払う、という…。
(実は、以前に習っていた韓国太鼓チャンゴやその合奏・サムルノリのルーツを自分なりに探っていて、
見つけた記事なのです)

ところで、この「方相氏」の姿って、なにか思い出しません?「目が点」ならぬ「目が四つ」を除けば、
私たちのイメージの「鬼」にそっくり!?

そうなんです。追儺会(ついなえ)は日本に輸入されまして、平安時代の宮中行事にまでなったのですが、
最初は祭りのリーダーだった「方相氏」が、いつの間にやら「鬼」扱いされるように…

諸説ありますが、「目に見えない魑魅魍魎」というのが説得力がなかったのか、
「方相氏」自体が貴族たちから嫌われちゃったのか、

そもそも「鬼」という字は「死んだ人の魂」といった意味なのですが
(「餓鬼」というのは「飢えている死んだ人の魂」)

私たちがイメージする赤鬼どん、青鬼どんなどの「鬼」、
あの姿のルーツのひとつは、もしかすると哀れな「方相氏」なのかもしれません。

ともあれ、「節分」の本質は、新年を迎えるための「大掃除」です。それも霊的な意味での。
豆だって、吉野裕子女史の説によれば、春の木気を応援するための金気の克服、ですし、
(炒った豆=金気。豆を「捨て」たり、「噛み砕いて」食べたりすることでやっつける)

いろいろ知っておいた方がいいのになあ、ということはあるのですが、
さりとて、それを「幼稚園の豆まき」で説明するわけにもいかず。。。

で、まあなんとなく、ブログに描き散らしてみたりする、というわけです。

「一年の終わりに大掃除をする」
これも様々な祭りとなっている黄金パターンなんですよ!
また機会があれば、お話したいですね。
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>(炒った豆=金気。豆を「捨て」たり、「噛み砕いて」食べたりすることでやっつける)


獅子舞の歯と歯のカチカチは、神(噛み)神(噛み)することで、魔の心を神様に噛み砕いてもらう思想もあったみたいです。
あと物事を噛み砕いて観るとかのような意味も。
豆を噛み砕くのも納得しました。
日本って、言霊(言葉)の思想があるので同じ音(言葉)からでしょうかね。
恵方巻は最近になって知りましたが、関西からだったのですね。
お祝いことには海苔巻はぴったりですね。

2011/02/03 (Thu) 22:31 | 桃 #- | URL | 編集 | 返信

桃様、コメントありがとうございます!

獅子舞いですか。角付けの芸能も面白いですね。
それにしても、
神(噛み)神(噛み)
って、なんか可愛いですね。

言霊は、また少し感覚が違って、自由な発想のようでいて、
なんだか不思議に通じるコトバの地下水脈、みたいなものが感ぜられて、いいものですね。
やはり、ガンジガラメにならないように、要注意、ではありますが。

お寿司はお祝い事にぴったり!おお、確かにそうだ!
それぐらいの自然な感覚で見た方が、本質に近づける気がします。

やれ、海苔巻の具材はこれこれで、七福神をあらわす・・・なんて、
いかにも「オッホン、昔からそうであーる」みたいな説明があるけど、
“福神漬の発明秘話のパクリじゃねえか!?”
“そもそも、七福神のメンバーだって、江戸中期くらいまでは定まってねえんだぞ!”
なーんて心のなかでつっこんじゃうんで、マトモに紹介する気にもなれない…んです。

ふう。
楽しく、シンプルに行きましょうか。

2011/02/04 (Fri) 08:33 | えいしん #- | URL | 編集 | 返信

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